アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

聖アンセルムス ”プロスロギオン” の不思議な脳をくすぐられるような感触

始めとか終わりとか或は部分の結合とかを有つているもの、
及び私が既に言つたやうに、
或る處に、
或は、
或る時に、
全體として存在しないもの、
さう言ふものは悉くたしかに存在しないと考へられ得るものであり、
さう考へられる唯一のものである。

しかし始めも終わりもまた部分の結合もそのうちに有たぬもの、
また如何なる思惟も、
常に且つ至處に、
全體としてしか見出さないもの、
さう言ふものは存在しないと思惟せられることが出來ない唯一のものである。

それ故に貴君は一方で自己の存在を最も確實に知ってゐながら、
自己の非存在を思惟することも可能であることを知りたまへ。

  長沢信寿訳(岩波文庫 1942年1月15日第一刷 1987年11月5日第二刷)