アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

駅と変わった電車の夢

前半がうまく思い出せない。
何か交通関係の事故があったらしく、大勢の人たちが誘導されて集合地点(ホテル?)に向かう。そこで、被害者への説明などがあるらしい。私は、別に怪我もしていないし、その集団から離れて歩いて行く。
駅に来る。私鉄の小さな駅、昔の井の頭線の雰囲気か。ホームで、がらがらの電車を見送った。次の電車は、混んでいて座れそうも無いが、後続の車両がすぐに来る。それは、二両編成だったようで、前の車両は普通の電車で混んでいたが、後ろの車両は遊園地の乗り物のような露天の階段状の座席が並んでいて、空いている。電車と言うよりも、観覧席という感じだが、古びていて、手すりのパイプに錆が出ている。私は、他の乗客と一緒にそちらに乗った。いったいどこに向かうのだろう。心許ない。家を出たとき、ここまで車で来たのか、電車で来たのかも思い出せない。

 ☆

おそらく記録はしていませんが、電車と駅の夢は、以前にも見ています。

目覚めてから、寝床の中で、自分の何らの権威も帯びていない生き方について考えた。そう言う選択、と言うより、性向なのだが、それで良かったのか? 以前、大学の話が来たとき、簡単に断ってしまったことを最近になって、多少悔いている。やはり、社会的地位というものを利用する生き方もあったはずだ。それより何より、家庭の経済を考えても、受け入れるべきだったか。若い頃、福音書のなかで、「長き衣を着て、宴席の上座に座りたがる」連中を批判していることに何かしら痛快なものを感じた。そういう影響も大きいが、自分自身の中にある本質的な問題に関わっているようにも思う。古びた遊園地の乗り物のような、どこに向かうのかも分からない電車に乗って、旅をするのもいいかも知れない。