アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

海で釣りをしようとする夢

海岸で、波が打ち寄せている。立ち上がり、押し寄せてくる波はそれほど大きくは無く、子どもの背くらいの高さだ。透き通った波のなかにたくさんの魚が泳いでいる。見え魚は釣れないんだよな、という声が、自分のつぶやきか、他者のそれだったか聞こえた。私は釣りをしようと思って、釣具店まで歩いて行く。その時、鈴木邦男さんがぴたりと寄り添うような感じで一緒に歩いてくれていて、実は私も皆と釣りをしようとしたことがあったのですが、ひとそれぞれで、皆の対応が大変だった・・・。のような話をしてくれる。何か、非常に暖かい感じで、実際の鈴木さんと同じだった。釣具店に着いて、竿を買おうとする。少し暗く、専門的な感じがしない、いなかの万屋(完璧な死語です)のような感じの店。店の男性(黒っぽいシルエットだったようだ。身体が大きめの感じ)が、ものすごく長い竿を見せてくれる。それは振り出し式とでも言うのか、コイル状に巻かれた合成樹脂の竿で、シュッと前方に振り出すと、するする伸びて、それが、優に十数メートルはある。私は、波打ち際を考えていたので、意外だった。長すぎるので、もっと短い、接ぎ穂式(正式な呼び方は知らない。普通に竿の断片をつなげていくもの)は無いかと聞くと、もうそう言うタイプは扱わなくなった、と言う。二本検討したように思う。店には、男性の家族の年取った婦人もいて発言したようだったが、姿は見せなかった。竿を買ったのか、買わなかったのか、良く分からない。道で棒でも拾えばよいのではないかとも思う。店を出ると、左手の少し遠いところにある家の軒先の陰から二人(?)の人物がこちらを見ていて視線が合う。一人は山本さん(職場の知り合い)で、彼は、既に私の意を察していて、リール式がいいんだよ等と、もう一人の人と話しているが、それは私にも、そう話しかけていたようだ。私も、なるほど、そうか、と思う。竿だけではなく、仕掛け(糸とか、針とか)も買わないと、等と思いながら歩いているところで、目が覚めた。

職場の山本さんは、私とは正反対の人物で、現場のたたき上げタイプであるだけではなく、人付き合いとか社交性とか上昇志向とか、すべてにおいて前向きな、経済面もがっちりしている、たくましい生活者で、あるスポーツ協会の理事をしているそうだ。鈴木さんは、実質的に戦後の日本の言論状況を変えてしまったはかり知れない人物だと私は思っている。だが、実際に会うと、ひょうひょうとして、冗談ばかり言っている、気さくで実に暖かい人で、私にとっては数少ない敬愛する年長者のひとりである。ここでも、夢の中で出会った人物が、私に対してアドヴァイスを与えるべき立場の人たちであることが分かる。魚の夢は、ここのところ、長い間見なかった。釣りという能動性は新しいが、夢のなかでも自分は現実を反映して不甲斐ない。起きてみると、雨の朝、体調は低調で、風邪をひいてしまったようだ。昨日は、使徒行伝を少し読んだ。