アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

終末的段階としての”今”の認識と差し迫った世界の改革の自覚:トーマス・ミュンツアーにおける基督教神秘主義的革命の必然性

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以上のことから、私は次のように結論します。即ち、幻についての経験を全く持たないのに、肉に従う判断にもとづいて、幻を憎み、幻をすべて否認しようとするもの、あるいは逆に、幻を、立ち入った吟味をしないで、凡て容認しようとするものは、現にまやかしの夢見るものどもが、野心家や我欲の亡者どもに仕えて、この世に甚大なわざわいを及ぼしているのであるから、うまくは行かず、聖霊に躓くであろう、と。ーヨエル書二章ー

ここで神は、ダニエルのこのテキストと同じように、この世の改革について明言しておられます。即ち、神は御名が正しくほめたたえられることを望まれて、終わりの日にこの世の変革を行おうとしておられます。神はこの世をその恥から解き放ち、御自身の霊をあらゆる肉の上に注ごうとしておられます。神はまた、私たちの息子や娘達が預言をし、夢や幻を見ることを定められておられます、等々。

もし、キリスト教界が使徒達の時代の状態になることを願わないのであれば(使徒行伝二章、ここではヨエルが引用されています)、一体なぜ説教をする必要があるのでしょうか。また、もしそうであれば、聖書が幻について語っているのは何の訳に立つのでしょうか。

神の御霊(みたま)が今や多くの選ばれた敬虔な人々に、重大で何ものも抗し得ない未来の改革がきわめて差し迫っていることを啓示しているのは、まことであり、私はそれを確信しています。

誰がどう反対しようと、かかる改革はどうしても遂行されるのであり、ダニエルの預言は、誰もそれを信じようとしなくても、パウロもローマ人への手紙三章で述べているように、依然として揺るぎない真実であります。

ダニエルのこの章は、明るい太陽のごとく意味内容が明白であって、世界の第五帝国の終末の過程は今や正しく進みつつあります。

「トーマス・ミュンツアー ードイツ農民戦争と革命の神学ー」
    マンフレート・ベンジング 田中真造訳(未来社・1981年改訳版第一刷)