アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

「ブルジョワ革命の枢要な担い手としてのフリー・メーソン」バクーニンによる評価

・・・当時ブルジョワジーは疑いもなしに尊敬に値するものであったのですが、その後は無力で愚かで不毛な存在となりさがってしまったのです。だが当時は、その全盛期でした。1793年の革命以前がそうでしたし、全盛期は過ぎましたが、それでも1830年と1848年の両革命までは、まだまだそうであったのです。当時ブルジョワジーは、征服すべき世界も、社会に占めるべき場所も持っていたのです。それゆえ、戦いに向かって組織され、知的で、大胆でそのうえ普遍的権利の代弁者を自認していたブルジョワジーは、確固たる全能力を付与されていたのです。ブルジョワジーだけが君主・貴族・聖職者の連合に抗して三つの革命を成し遂げたのです。
  
その時代にブルジョワジーもまた、例のフリー・メーソンという、強力な国際結社を生み出していたのです。

もしも前世紀のフリー・メーソン、あるいはまた今世紀初頭のフリー・メーソンを、その今日の状態から推して判断する人があるならば、その人は大いに間違っていると言えましょう。とりわけブルジョワの制度であったフリー・メーソンは、当初の成長とその後の凋落とを通じて、いわばブルジョワジーの知的・道徳的発展、その強力、その衰退を表現していたのです。

今でこそ、それは年老いた策謀的な饒舌家さながらのみじめな役割に堕してしまっており、また無能無益で、時には有害な笑うべき存在になりさがっていますが、1830年以前には、ことに1793年以前には、決してそうではなかったのです。

わずかな例外的人物を除くと、選り抜きの才知、いやがうえにも燃える心、もっとも激しい意思、さらに豪胆きわまりない気骨とを備えた人物を結集したフリー・メーソンは、行動的で力強く、真に有益な組織だったのです。

それは十八世紀人道主義思想の強力な具現であり、その実行でした。自由、平等、友愛、さらに人間理性および人間的正義など、その偉大な諸原理は、最初の精緻な理論化こそ今世紀哲学に負うものの、すでにフリー・メーソンにおいて実践的ドグマとなっていたのですし、そこではまた新しい道徳と政治の基礎ーつまり破壊と再建との巨大な企図の固まりーとなっていたのです。

フリー・メーソンはこの時代に、封建的、君主的、神的な圧政に対する革命的ブルジョワジーの普遍的な陰謀組織ーつまりブルジョワジーのインタナショナルであったのです。

周知のように、最初の革命のほとんどすべての立役者はフリー・メーソン団員であったし、革命が勃発した当時、このフリー・メーソンのおかげで、他の諸国にも革命の力強い献身的な協力者や友人たちがいたのであり、実にこのことが革命勝利への大きな助けとなったのです。

しかし、次のこともまた明らかなのです。それは、この革命の勝利そのものがフリー・メーソンを殺してしまったことです。

革命はブルジョワジーの数多くの願望の大半を実現したのですし、またブルジョワジーが血統貴族に代わることを許したからです。過去最長期間搾取され、虐げられた階級であったブルジョワジーは、当然にも今度は、特権階級、搾取階級、抑圧する階級、保守反動階級になり、国家の友人ないしその最も堅固な支柱になったのです。

ナポレオン一世のクーデターの後、フリー・メーソンはヨーロッパ大陸の大部分での帝政の一制度に転化したのでした。
 
「世界の名著42:プルードンバクーニンクロポトキン」(中央公論社・昭和42年)所収「ロークルおよびショー・ド・フォンの国際労働者協会の友人たちへ」(第一信)より