アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

峠三吉における原子力の平和利用の幻視の問題(しげさんとのツイッターの記録)

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
よく知られた事実かも知れませんが、峠三吉「原爆詩集」の中に、核エネルギーの平和利用のビジョンが出てくる。彼は解説の中野重治と共にソヴィエト支持だったらしいが、1951年当時、ソ連は既に核エネルギーの平和利用を唱えていたのですか?彼の共産党との関わりも含めて、どなたかお教え下さい。

しげ ‏@shigeharu1902
@longtonelongton アイゼンハワーの平和利用演説が1953年12月。それ以前にソ連が平和利用を唱えたというのは聞いたことはありません。1962年にソ連では原爆の平和利用として、核爆発によってできる穴で人工貯水池を作ろうなどと計画してます(プロジェクト「チャガン」)。

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@shigeharu1902 そうでしたか。だとすると、峠三吉のビジョンは詩人らしい預言性を帯びてきて、不思議な感じです。人類史上初めての核爆発による地獄を見た当人が、核エネルギーを「人民」のために役立たせることを思い描いたのだとすれば、今の福島の現実も踏まえて、複雑な気分です。

しげ ‏@shigeharu1902
@longtonelongton 複雑な気分、同感です。ふと思うのは当時のマルキシズムがナイーブな科学の発展史観に依拠してたのかなということです。相対性理論なり不確定性理論なりを突き詰めるところまで行かず、むしろそれを追求した京都学派などへの反発が科学への素朴な信頼を生んでいた?

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@shigeharu1902 なるほど「当時のマルキシズムのナイーブな科学の発展史観」が核爆発の地獄を見たはずの詩人に科学の夢を見させた。その辺が自殺した原民喜(詩は未読です)と生きようとした三吉をわける分水嶺の一つでしょうか。人類に絶望し切れなかった三吉は結核と被曝に倒れた。

しげ ‏@shigeharu1902
@longtonelongton 破局のあとのユートピア。それを見れる人と見れない人がいるように思います。破局と向き合えないから未来や過去のユートピアを求める人もいます。峠の「人間を返せ」の人間とはどんなイメージなのか。考えてしまいました。破局なきユートピアへの想像を養いたい…。

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@shigeharu1902 私の曖昧な記憶では、神秘家ベルジャーエフは今こここそが黙示録的状況なのだと言った。破局の後のユートピアキリスト教の場合、千年王国ですが、それは破局の後にこそ訪れる。この信仰を革命思想にまで高めた(脱皮させた)のが西欧人の強さか。今も生きている問題。

しげ ‏@shigeharu1902
@longtonelongton その破局が天災ではなく、人の手に渡ると厄介です。ユートピアの手前に「巨大な暴力」を置かない想像力が試されてるように思います。マルクス主義の系譜でいけばグラムシ構造改革の線でしょうか。今、ここが黙示録的状況。仏教ならば末法の世ですね。

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@shigeharu1902 「ユートピア前に巨大な暴力をおかない想像力」、まさしく現代の課題か。それこそがかつての西洋の歴史・思想に欠けていたものかも。マルキスト思想家は(も!)不勉強です。末法の世、ヒンズーのカリ・ユガは5千年続いたとか。東洋思想の歴史観も面白い。−>

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@shigeharu1902 昔のインドの人気TVドラマ「Sri Krishna」 では、カリ・ユガは神格化された存在で、ジャングルで狩りをしていた王様と出会う。カリユガは、王様を欺して、彼の王冠(黄金製)に宿ることで、人間を支配するようになる。色々な意味で、深いと思いました。

しげ ‏@shigeharu1902
@longtonelongton ふと沖縄のニライカナイという言葉を思い出していました。海の向こうにある常世の国。そこからたまにマレビトが来て幸をもたらす……詳しくはないんですけど、そういう彼岸ではない、地続きのユートピアってまだまだこの星には残ってると思います。ささやかに。

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@shigeharu1902 過去のユートピア、黄金時代。基督教文脈で言うと原罪以前の人間。アマゾンには未発見の部族が残っているらしいですね。ニライカナイ、母の国。古代的な此岸と彼岸が地続きな世界観。少し違いますが、明治の頃、西洋人が、チベットの奥地にシャンバラを探しに行った。

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
フランシス・ベーコンが女王陛下に「科学の同盟」の設立を訴えたが、実現されなかった。しかし、そのアイデアは、王立協会として結実し、ニュートンが初代会長に。機械論哲学(力学的世界観)が西欧を支配し、魔術的世界観(古代哲学)は地下に潜る時代になる。−> @shigeharu1902

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
−>ここでユートピア思想も分岐し、フランシス・ベーコンが「ニューアトランティス」(実は未読ですが)で描いたような科学的ユートピアが科学主義には常に胚胎する(寄生する)ようになる。ニライカナイ千年王国のような霊的ユートピア思想は地下に潜る。−>@shigeharu1902

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
−> 峠三吉原子力の平和利用を幻視したとすれば、フランシス・ベーコンまで遡る「科学の母の国」への先祖返りを、核爆発の地獄を目撃した当人が身を以て人類に示したことになる。−>  @shigeharu1902

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
そのような先祖返りは「マルキシズムにおける科学とユートピアの結婚」にこそ、その先例があって、峠三吉における原子力幻想(=科学的人民のユートピア)に対して、彼のコミュニスト的感性(良く分からないのですが)にその淵源を求めることも見当外れでは無いかも。 @shigeharu1902