アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

ミートソースの洗礼を受ける

勤務先の食堂よりも、道路を隔てたエリート社食の方が安くておいしいので、昼飯はそこに行く。私はたくさん食べるのと、よく噛むので、皆より食事に時間がかかる。一人取り残されて淋しくデザートのパイナップルを咀嚼していると、目の前で中年の男が、昼食を載せたトレーごと、いきなり転倒した。

その男性と仲間と、後から来た食堂のお姉さんで、後始末になった。私は食事を続けていたが、ふと気づくと、細かくミートソースのしぶきで、洗礼を受けていたのだった。お姉さんが貸してくれた濡れタオルで拭き取ったが、ミートソース臭は抜けなかった。その男性は、付近にいた人たちに謝っていた。

しかし、結局、私には声をかけず、その場から去って行った。なぜ彼は私を無視したのだろうか。そのときの私は、煮染めたような黒のTシャツ、カーキ色の土方半ズボンに紫の靴下、薄汚れた軽登山靴という風体であった。そしてスキンヘッド。少なくとも彼ら(知的労働者)の仲間には見えなかったか。

良い気持ちはしなかったが、とりたてて腹も立たなかった。いつも、その食堂で感じていた違和感、自分はこいつらの仲間じゃない、という感覚が、これではっきりしただけである。ツイッター脱原発に関わるような人たちには想像がつかないかも知れないが、やはり世間には色々な人がいる。

何か結論めいたことを書こうと思った。エリート意識みたいなものを分析してみようかと思ったのだ。牽強付会に過ぎるが。原発の存在が被曝労働を前提とすること。しかし、原発労働で被曝するのは、あくまでも貧乏人、社会的弱者だ。少なくとも、社会的身分を確保した”自分”ではない。その事実を十分承知の上で、何ら痛痒を感じることなく、原発を推進できる人間が確かに存在する。

エリート社員食堂で、ミートソースの洗礼を受けた私に降りてきた啓示は、かくもありふれた認識に過ぎなかった。