アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

神秘修行者が出会うべき家族・民族・人種の問題 大日本三千年紀研究會のためのコラージュ集11

しかし神秘学者はちょうど頭や手足が人間の一部であるように、個々の人間自身が同様の意味でその手足であるところの高次の諸世界(魂界、霊界)を知っている。

その意味で家族、民族、人種のいとなみの中には、個々の人間を離れてもまったく現実に存在する家族の魂、民族の魂、人種の霊が働いているのである。

個々の人間とは、或る意味では、これら家族の魂、人種の霊等々の単なる執行機関であるに過ぎないといえる。

たとえば或る民族の霊がその民族に属する個々の人間を用いて、特定の仕事を成就させるということはまったく真実である。

民族の魂は自己の意図を物質的な感覚世界で実現させるために、個々の肉体を道具として使用する。

それは、次元は違うが、あたかも建築家が建物の細部を仕上げるために、職人を使うのと共通している。

どの人間も、言葉の最も真なる意味で、家族の、民族の、もしくは人類の魂から自分の演じるべき役割を与えられている。

けれども感覚的人間は自分の仕事のこのような高次の計画については決して知らされていない。

彼は無意識的に民族や人種の魂の意図に従って働いている。

修行者は、境域の守護霊と出会った時から、彼自身の個人的な立場を意識するのみならず、民族や種族によって与えられた使命に対しても意識的でなければならない。

「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」 ルードルフ・シュタイナー 高橋巖訳

数学者岡潔は或る仏教宗派の熱烈な修行者であったが、同時に、戦後まで生きた知識人としては異例の民族主義的言辞によっても知られている。又、本研究會でとりあげるべき戦前の民族主義者の著述のなかにも神秘体験・悟りの一端を見いだす例がある(大川周明「安楽の門」、井上日召「梅の実」)。

上述のように、シュタイナーによれば、神秘修行が進むと、或る段階に於いて必ず自らの民族の問題に向き合わなければならないときがやってくる。神秘学と民族の問題は切っても切れない関係にある。