アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

臓器移植は、死(=生)の冒涜ではないのか

臓器移植の件。生きることももちろん大事だが、死を迎える時は実はもっと大事だ。人間が霊界に帰って行く時だから。人生で誕生と同じくらい神聖な瞬間だ。これからも医術的に可能なことがいくらでも出てくる。その度に生の側にしか判断の基準がないとすれば、死(=生)の冒涜には果てがないだろう。

______以下貼り付け開始(中国新聞)____

子どもの移植進展に期待 脳死男児の手術終わる

 改正臓器移植法に基づき、6歳未満で初めて脳死と判定された男児からの臓器移植手術が16日に終了した。幼児の意思確認など課題はなお山積するが、約4年前に米国で多臓器移植を受けながら、半年後に亡くなった名古屋市の各務宗太郎
かくむ・そうたろう
君=当時(9)=の母優子
ゆうこ
さん(40)は「子どもの命がつながっていく」と、国内での子どもの脳死移植進展に期待する。

 生まれつき胃や腸が正常に機能しない病気だった宗太郎君。移植が必要とされたが、国内では当時、15歳未満の臓器提供は認められていなかった。支援者の協力で1億円以上の募金が集まり米国へ。2008年3月に移植を受けた。優子さんは「出産時よりも感激した。ドナーの子と2人で1人になると思うと責任も感じた」と振り返る。

 手術後、一時はおかゆを口にするようになったが、次第に容体は悪化。同年9月に息を引き取った。愛するわが子を亡くした悲しみに加え、「ドナーの子を二度死なせてしまった」という感情にも襲われたという。

 「息子がどこかで生きていてほしい」。そんな願いから宗太郎君の臓器を提供することも考えたが、生前の病気が理由でかなわなかった。移植を必要とする子どもを数多く目にしてきたこともあり、「何とか治してあげたい」との思いを常に抱えながら暮らしてきた。

 それだけに今回、臓器提供した男児や、承諾書に署名した両親に対しては「感謝の気持ちでいっぱいです」と話す。

 「臓器移植でないと治らない日本の子どもに道が開けた」「移植を望む人には一筋の光となる」。今回、男児脳死判定に関わった関係者からはこうした意見が相次ぐ。一方で、幼い子どもの意思確認や家族への説明の方法、脳死判定をめぐる透明性確保など課題を指摘する声は根強い。

 男児の両親の精神的なケアが気になるという優子さん。「私自身も、自分と似た境遇の人と語り合う場がほしかった。孤立させない環境を周囲がつくる必要がある」と訴える。

 子どもの移植医療に対する理解は、今回の事例を機に深まるのか―。優子さんは、宗太郎君が通っていた小学校で何人もの保護者から「自分の子と臓器移植について話す機会ができた」と声を掛けられたことがあるという。移植への関心を高めるため、講演会などに声が掛かれば、できる限り参加し経験を語り伝えていくつもりだ。

________以上貼り付け終了______