アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

登校拒否児童・朝永振一郎

昨日、ざらすとろさん、白井さんとツイッターでお話ししていて、以下のツイートをした。

@georg_trakl @motonosuke0328 (1) 論点が多いので、一つずつ。朝永振一郎が「科学者の自由な楽園」(岩波文庫)で描いたような大日本帝国理研」にあった自由な雰囲気に対して、その真逆である管理主義の下に、現在の学術研究が置かれている。逆説的だが真実です。

科学者の自由な楽園 (岩波文庫)

科学者の自由な楽園 (岩波文庫)

そこで、本棚からこの本を探し出して、アルコールで埃を拭いてから、拾い読みしてみた。子どもの頃の思い出から始まっている。後の大物理学者(ノーベル賞受賞)朝永振一郎は、身体が弱く、泣き虫な子どもであった。字が下手であった。そのへたくそなお習字の写真が、この本には載せてある。朝永博士は、草場の陰で苦虫を潰していることであろう。先生に、字の下手さをたしなめられて、今で言う登校拒否になった。朝になると、お腹が痛くなって、学校に行けない。しかし、父親(哲学者の朝永三十郎)の配慮と、先生の気遣いで、再び学校に通えるようになる。講演の記録のような文体で、独特のとぼけた感じなので、昔読んだときには、深刻な感じは受けなかったので、記憶にも無いのだろう。

しかし、朝永博士が、今の日本に生まれていたらと思うと、心許ない気分になる。いじめにも遭ったりして、登校拒否から抜け出せなかったのではないか。今の登校拒否児童や、ヒキコモリ青少年の中にも、朝永少年が隠れているだろうと思う。

更に、朝永青年の才能の開花には、京都から東京の理研に移って、その自由な明るい雰囲気に触発される必要があった事が、この本から、うかがうことが出来る。植物が太陽の光を必要とするように、科学的才能も、先輩や指導者からの温かい励ましのなかで育つものである。少なくとも、戦前の一時代の日本にそれが在ったことが、この本からうかがい知ることができることである。

振り返って、今の日本はどうか。その問題をツイッター上で議論したまとめをざらすとろさんが作ってくれたので、リンクしておきます。