アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

千の銃砲が向けられる夢と、藤ヅルに縁取られた円い破れ窓の夢

ここ何日か、雑用に追われる。一応昨日で一段落だが、今日は引っ越しの手伝い。昼間自分でも嫌々ながらの作文をしていると、それだけでエネルギーが吸い取られてしまうらしく、読書も勉強も何も出来ない日々が続いた。その補償なのか、毎晩、夢を見ていた。ただ、日本変態党大相談会の後では、自分がひとりではなく、必ず一緒にいる人たちが出てくる。これは夢に現れた大きな変化だ。

今朝の夢はもう細部は思い出せない。印象的だったのは終結部分で、自分が数人の仲間たちと合流するのだが、そこで気がつくと、数千の銃砲が、一斉にわれらに向けられていて、もはや身動きが取れない。夢自体は映画的ではなかったが、ブルースブラザース等の、映画にはよくある古典的なシーンかも知れない。振り返っている今は冷静だが、夢を見ている最中は悪夢だった。どこか、身体の見えない部分で血が流れている感じが残った。

一昨日の夢は、子供の頃であれば、おねしょしているパターンだった。幸いそうはならなかったが、大きな田舎の家で目が覚めて、トイレに行こうとする。私の部屋には他の人も寝ているが、ふすまを隔てた隣の部屋にも何人か寝ている。その家は、高台にあるらしく、開いた引き戸の向こうには、黄土色の砂浜と海が遠望できる。視線を変えると、窓がある。それは円く、周囲を藤蔓(ふじづる)のような枯れた植物が縁取っていて、この家の古さを物語る。藤ヅルに縁取られた丸窓は、窓と云うよりも、その家の破れのように思えた。その向こうは青空だった。便所は排泄物が固まっているようなリアルさだった。そこでも、窓の向こうに青空が見えたようだ。

窓と外の景色というパターンが最近の夢の傾向かも知れない。