日時:2012年4月6日(金)19:00−21:00
場所:高田馬場カフェミヤマ・マイスペース(03-5292-5772)JR高田馬場駅東口徒歩3分
どなたでも参加できます。オブザーバー参加も歓迎致します。
4月・5月に予定の「包帯デモ」(仮称)の相談も行います。
【趣旨】
シュタイナーの歴史認識の深刻性とその的確さは、第一次世界大戦前後のドイツ国民、ヨーロッパ文明が直面した危機的状況を考慮することなしに、理解することはできません。昨年三月十一日に起きた大震災と福島原発事故によってもたらされた状況は、戦後どちらかと云えば順境にあった日本人にも、ようやくシュタイナーが訴え続けていた物質文明の危機を自分の問題として受け止めざるを得ない、重大な契機を与える結果になりました。
政治、経済権力者たちの現状認識の甘さ・対応の迂闊さは痛々しいほどであり、このまま放置すれば、日本の自然、文化、民族が滅亡する可能性がいよいよ現実化してきました。この危機的現状に対する健全な認識は、むしろ、権力からほど遠い、一般市民の側にあって、デモや抗議行動などに参加する国民の数は増え続けています。
ひとりひとりが目覚め、行動する以外に、この状況を生き延びる術は無い。今までは政治もデモも、他人事であった普通の市民が行動を開始しています。多くの市民、国民が、それぞれのスタイルで、動き始めています。わたしもその衝動を感じ、このブログに、最近は、詩のような形で、その思うところを書き綴って来ました。
脱原発運動では、デモ、直接抗議、啓蒙活動などが、その有効な手段であって、私も脱原発デモに参加してきました。
ここで行いたいのは、それらの既存の活動に対して、補完的であるような行動です。具体的には、(1)人々が横のつながりを積極的に作り出せる方法論の確立と普及です。更に、(2)安全キャンペーンによって、原発事故と放射能の危機が去ったかのように思い込まされる人々と、あらためて危機意識の共有を図ることです。その手段として、包帯デモ(仮称)というものを考えています。警察への届け出も必要なく、お金もかからず、地方でどちらかと云えば孤立した人間達が、横のつながりを作っていく方法を編み出したいのです。
ここで、私は人智学徒なので、原発危機は、物質文明の危機として考えざるを得ません。人智学の問題として今回の危機をとらえざるを得ないのです。そこで、研究会・勉強会として、「大日本三千年紀研究會」というものを始めようと思います。ここでは、人智学と日本、歴史、が大きなテーマになる予定です。
包帯デモ、日本変態党、大日本三千年紀研究會の三者が、阿修羅の三つの顔のように私の前に立ちはだかる。このトリニティーから、新しい日本が始まる。そう言う意気込みです。
なお、ネーミングが変なのは、自ら望んでそうしているのです。できるだけ抵抗感がある方がいいのです。特に、戦前と戦後の間に横たわる思想・言論のギャップに、われわれの問題意識を方向付ける意図があるのです。
【以下に関連するリンクを貼っておきます】
Activismphobia in Japan 日本における運動恐怖症候群:イルコモンズさんの講演と "Nuclear-activists"の映画 @筑波大学