アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

「秘教的修行の手引き:エソテリックスクールより」 主要課題(1906年10月)その5

前回の続きです。

主要課題(5)
    (明治三十九年十月)

上に述べた主要課題に関する説明(その1)

 秘教的な発達を目指して努力する者は、何よりもまず、ある種の著しく単純なマントラ、文章が、魂のなかで生命をもったとき、それが秘めていた力が発動することを、明確に知っておかなければならない。これらの文章をただ知的にのみ理解しようとするのであれば、この意味を正しく理解することはできない。そのような態度で臨む限り、得られるものは少ない。ある一定の時間、そのような文章によって自分の内的存在全体を満たし、自分の魂のもつすべての力を注ぎ込んで、そのなかに沈潜しなければならない。「私が存在する」は、そのような文章である。
 現段階の人間存在に関する秘密全体が、実際にこの文章のなかに含まれている。今日の地上の人間に似た外的形姿を保有する存在のみが、この言葉について思考し、感じ、意志を注ぎ込むことができる。そのような存在のもつ形姿は、身体全体に働きかけるすべての力の最終的な達成目標が、前向きなアーチ状の眉であるように、発達してきたはずである。この発達した眉と「私が存在する」はひとつである。人体形姿進化の前段階においては、その力が今のような眉として前方に発達してはいない段階があった。その段階では、「私が存在する」を内的に思考することも、意志することも、感じることもできなかった。ここで、上に述べたような人体形姿が「私が存在する」をもたらしたと信じたとしたら、それは全くの誤りである。この「私が存在する」は、その当時も既に存在していたのであるが、ただ適切な形姿を示すことができなかっただけなのである。現在、それが人体形姿において表現を得ているように、以前の段階においては、それは魂界において自己を表現していたのである。そしてこの「私が存在する」という力は、未だ眉が形成されていなかった時代の人体に結びついて、現在の額(ひたい)を形成する推進力として働いたのである。したがって、「私が存在する」に沈潜することによって、われわれは、現在の人体形姿を形成した力そのものを自らのうちに感ずることができる。そして、この力は、今日の日常生活においてわれわれの内部において働いている諸力よりも高次の力である。すなわち、それは魂から身体性を形成する、魂のもつ創造的な力なのである。