アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

二十歳の夏  時代の意味について

中学、高校性くらいの頃のことだったと思う。私は、テレビや新聞で知らされる世界の悲惨な状況、パレスチナのテロや、ベトナム戦争、アフリカで飢餓に悩まされる人々、太平洋やどこか知らない砂漠で行われる核実験のニュース等々に、日夜晒され続ける事が、むしろ現代人の精神的な退廃の原因ではないかと考えた。何の権力も持たない、無力な一個人に、このような状況を知らされたとしても、どうしようもないではないか。彼らに(自分に)一体何ができようか。無力な個人が現実を知ることに一体何の意味があるのか。他者の悲惨に対して不感症になることでしか、この不幸にあふれた惑星・地球で生き続けることはできない。しかし、それでいいのか。

当時は、学生らしく、「現代の眼」、「流動」、「世界」などの硬派の月刊誌を読み、現代というものを何とか自分なりに把握しようと背伸びしてはいたが、その後も社会状況とまともに関わり合うこと無く、馬齢を重ねてきた。

人智原理主義者としての現在の私の理解によれば、電子通信技術・マスコミが飛躍的に発達した結果、世界中の人々が、遠く離れたお互いのことを知ることができるようになった現在の状況は、人類の霊的な成長のために意図的に用意された環境なのである。この現実から逃避しないで、正面から向き合うことこそが、もちろん正しいのだ。時代的要請は、地球上の全ての出来事を自分の事として受け止めよ、ということなのだ。それでは、まるで、自分がキリストのようだが、そう言う意味での「キリストのまねび」が要求されているのが、今の厳しい時代状況の含意なのである。これはむろん、無理な要求である。しかし、その無理な課題を一人一人が引き受けることで、世界は確実に変わって行く。

シュタイナーによれば、決定的なテクノロジーの進展には、時代霊が関わっている。現在の時代霊は、キリスト教で云うミカエルだが、先代の時代霊、ガブリエルが、望遠鏡の発明に積極的に関わっていた。その結果、ハッブル宇宙望遠鏡に至るめざましい技術の発達があり、人類の宇宙への展望は劇的に拡大深化した。シュタイナーは、現代を支配する唯物論的な世界観が克服されなければ人類の霊的な進化が望めないとする一方で、同時に、唯物論的な世界観・科学の進展は人類にとって必要な経験だったとも述べている。われわれが経験しつつある現代の通信・コミュニケーション技術の発達による個人と世界の関係の劇的な変化にも、その意味で積極的な意味を見出すことができる。