アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

日本の夏・微妙な夏  統一戦線義勇軍の針谷さん主催「右から考える脱原発集会」第二回打ち合わせに参加した

針谷さんのツイート【集会の名称が正式に決まっていませんが、以下でどうでしょうか? 「7.31右から考える脱原発集会」 副題で『福島の子供たちを救い出し、麗しき山河を守れ!』でどうでしょう?】

昨日、7/11(月)で、地震から、ちょうど四ヶ月になった。これほど長い四ヶ月は自分の人生には無かった。自分の一番長い四ヶ月(字余り)だ。地震の後、身体感覚が違う。ずーっと空気が重い。頭がすっきりしない。地に足がついていない。ふらふら・ゆらゆらしている。その起因は地震にあることは確かだが、身体感覚の異常も心理的な違和感も、すべての人が感じているというものではない。地震に関わらず絶好調の人もいる。私の異常に狭い交友範囲で言うと、年配者である。大東亜戦争経験者か、戦中に生まれたくらいの人たち。私は、茨城で、文字通り地面が傾く経験をした。この程度のことで世界観が変わるようでは、勝海舟のように胆力の鍛錬をこととした武士には笑われるだろう。しかし、私はむしろ、あの希な経験を出来る限り忘れたくないのだ。自分の記憶力の悪さは、常に忘却の穴蔵に逃げ込む弱さの裏返しなのだが、それを今は歯痒く思う。 これは倒錯した心理で、今や不謹慎でさえあるだろうが、出来れば、あの感覚を肝に銘じるためになら、もう一度経験してもいいとさえ思う。

身体感覚の異常が人生を変えることは、当然であろう。身体感覚は無意識に直結する。意識がまだ自覚しないことを、身体が予告するのだ。それに従うことは、自分の生命の声に耳を傾けることである。シュタイナーによれば、個人のエーテル体の形成には民族霊が関わると言う。まさしくそのエーテル体の感覚が異常を告げている今、私自身、まがりなりにも、僭越にも、民族主義に走ることに、何の不思議も無い。この点は、いくらでも理屈を付け加えることは可能かも知れないが、本質はそこにしかないと思っている。

十日、日曜日の午後、首に包帯を巻いたこどもたちに助けられる幻想にとらわれた。すると、涙が止まらなくなった。こんな風に泣けたのは、父を亡くして以来のことだった。今でも、これを考えると、涙が出そうになる。しかし、そんな感傷に耽っていては駄目だ。強くならなければ。

今のところ、私に出来る行動の拠点は、この針谷さんが主催する民族主義者主導の脱原発デモしかあり得ない。毎週月曜は東京で仕事があるので、今回も参加出来て助かった。今回の打ち合わせでは、ロフトの平野さんという超強力な仲間が加わった。私の立ち位置は、運動してきた右翼の人たちとは当然違うし、僭越だと思わざるを得ないが、図々しく、このデモの企画に参加させていただくつもりだ。どこまで書いて良いか、微妙だが、「公安の動きはどうなの?」という平野さんの問いに、今回はそれが全くないのが不気味です、と針谷さんが答えていた。こういう会話を身近に聞くのは私は初めてだった。マスコミへの公告、横断幕や幟の注文、救護班と水の補給、その他、実際的なことも論じられる。とても勉強になる。平野さんから、街宣車を出して脱原発の横断幕をつけること、街宣車のスピーカーを女性にしてはどうか、街宣車からは、「海ゆかば」を流しては、等と、次々にアイデアが出る。さすが!

妙におしゃれな芸術家らしいキャップの原田君が映像記録で活躍。ざらすとろ氏は今回は出られなかったが、731は参加表明。白皙の自称ファシスト青年は名前を聞きそびれたが、積極的な発言で、針谷さんから本質的な意見表明を引き出すことに寄与。少し遅れて到着したロフト平野さんは、初めて生で接することが出来たが(ツイッターでは少しお話したことあり)、非常にエネルギッシュな、魅力的な人物だった。二次会ではTTさんとも知り合いになれた。彼はいろいろと書いているらしい。介護の会社に勤めているが、その社長自身が脳性麻痺なのだそうだ。脳性麻痺の人には、面白い、すごい人が多いという。またお話を聞けるだろう。一水会の方も参加されたが、名前を失念。赤瀬川源平が描くガロの社長に似ている。昭和な味の方だった。体格のいい人(名前を失念)、大石さんと彼女は二次会は欠席。

今回も、前回に引き続き、こんな風に勝手にブログを書いてしまいましたが、これは、公式な記録ではありません。私の個人的な記録です。デモは、七月三十一日(日)芝公園:二時開始の予定ですが、公式発表を刮目して待つべし!!