アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

奥さん、右寄りなお話しがありますよ。統一戦線義勇軍・針谷さんの「右からの脱原発デモ(仮称)」の打ち合わせに参加した。

針谷さんのツイート:《珍しく30分前に会場到着。 新宿区役所ルノアールマイスペース3号室「男たちの国防論実行委員会」で取ってます》

今週四日、月曜は東京で仕事があったので、針谷さんのツイッターで告知があった「右からの脱原発デモ」の打ち合わせに参加可能だった。少しばかり迷ったが、オブザーバー参加でもよいとの大石さんのツイートもあったので、出てみる事にした。

歌舞伎町のルノアールに定刻七時に着く。女給(戦前か)が指差した先に視線を走らせると、マジックで書いた会議室のタイトルが並んでおり、そのなかに「男たちの国防論実行委員会」とある。それ以外に、針谷さん主催の会議らしきタイトルは見当たらない。「え、話が違うよ」、少しばかりびびる。気恥ずかしくもある。しかし、今更帰るわけにも行かず、勇を決して二階の会議室に行く。針谷さんは写真で見るよりも血色がよく、きわめて雄弁、元気な人だった。大魔神鍾馗様もいた。十人弱だっただろうか。皆、人間らしい顔をしていて、見飽きない。デルクイの大石さんもいた。大石さんは、「国防を考えると原発は廃止である」という意見で、私もかねてからそう思っていたので、うれしかった。特に初参加(私も初参加だが)の若い人が実に活発に発言していて、目を見張るようだった。日本も捨てたものじゃないと思った。

放射能は目に見えない。天才黒澤明は「夢」の中で、放射能に着色して、映像化した。針谷さんも、放射能が目に見えるようになれば、福島の人たちの危機感も変わるのだが、と嘆息していた。針谷さんは、震災後、真っ先に福島に支援に駆けつけたので、実際の福島の人たちのメンタリティーに触れている。東京や都市部では想像が付きにくいが、極めて保守的だ。だから、原発放射能の危険性の主張に対しても、そんな「アカ」の言うような事は信用できないと言う受け止め方が根強いという印象をもったそうだ。従来の左からの主張に聞く耳持たない大人が大半なのではないかという。むしろ、お上、政府の云う「安全」を信じてしまう。しかし、今の福島近傍の放射能線量は、子供が滞在可能なレベルをはるかに超えている。一刻も早く、手を打って、疎開でも、引っ越しでも、するべきだ。左からの主張に耳を傾けない福島の人々も、右翼が危ないと言い始めれば、これは本当に危ないのではないかと気がついてくれるのではないか、と言うのが針谷さんの考えだ。私は書記でも無いので、これは正式な議事録ではないが、今回打ち合わせにオブザーバー参加した私の理解では、今回のデモの最大の主張は、福島の子供を救えということになるのでは無いかと思う。

私自身はかねてから、右翼の人に街宣の方法と注意点をうかがってみたいと思っていた。二次会の酒の席で、針谷さんは親切に教えてくれた。デモと違って、警察の許可も何も要らない。ただ、路上で複数人でやると、今の法では集合罪か何かで、つかまる恐れがあるらしい。自分の主張したいことが本当にあれば、聴いてくれる人が出てくる。言葉は、たどたどしくてもいい。むしろ、たどたどしい方がいい。針谷さんは、いつも、準備しないで即興で話すという。針谷さんは、自分は自己顕示欲で運動しているのではない、自己顕示欲で話しても、誰も真剣には聴いてくれない、と言う。二十年以上の運動経験に基づく言には説得力がある。しかし、それは、自分のような未熟者には、言うは易く行うは難しだと思った。

ともかく、福島第一原発事故をめぐる今の日本の現状は悲惨だ。大人は、若い人や子供のために、何でも出来る事から始めるべきだ。そう思っている人はとても多いだろうが、何から始めたらよいのか分からなくて、ふさぎ込んだり、諦めたりしている人もいるかも知れない。私にもその気はあった。しかし、針谷さんたちの呼びかけのおかげで、何か出来そうな縁が生まれ始めた。大いに感謝している。解散後のツイートで、大石さんが「左やアナーキストの共闘、オブザーバー参加もあった」と書かれていた。私は、酒の席で、人智学徒であることを話し、付け焼き刃のベーシックインカムの主張を述べたが、そこで「だから、国家は要らない方向にゆくのです」などと口が滑ってしまったので、アナーキスト扱いになっているのかも知れない。これは軽はずみな言で、正確ではないだろう。しかし、高橋巖:佐藤優、個体主義的な神:天上の神、アナーキズム国家主義、という二項対立図式を対応させて考えて行くと、私はアナーキストで一向に差し支えないのであった。もっとも、この図式は、佐藤優さんには公平では無いかも知れない。

シュタイナーが述べたように、民族主義が昇華された利己主義であり、国際主義が昇華された博愛主義であるとするなら、民族主義国際主義の二者が磁石の両極のような在り方で作用しなければならないと考える。その場合、一部の”ネトウヨ”や自称右翼のような排外主義は妥当性を失うだろう。一方、国際主義を標榜するものの、実質は一部の大国や国際資本に益するに過ぎない”グローバリズム”が弱った日本社会に再び攻撃をしかけてきている。三島由紀夫が「文化防衛論」で民族の霊性に対する最大の脅威とみなしたのは共産主義だったが、それも過去の話になった今、TPPに代表される偽グローバリズムが経済活動を通じて日本の民族性・精神文化の弱体化をもたらすものではないか。その自覚の意味では私は民族主義者だと思う。