アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

千年に一度の大震災と原発事故

金曜の昼は研究室の送別会で、スタッフ全員(と言っても五人)がそろって、林の中の瀟洒なレストランでイタリアンのコースを堪能した。部屋に戻ってから、お返しのリボンの付いた小さな包みをもらった。その続きの中途半端な気持ちで机に向かっていると、地震の揺れが来たので、まずドアを開けておこうと席を立つと、思いの外揺れが大きいので、そのまま廊下に出たが、さらに揺れ始めて、皆で急いで階下に脱出。私のオフィス(二階にある)の建物(二階建て)は、市内の研究所の中でも最も古い建築物なので、とりあえず、建物の外に出た。その前後の記憶が曖昧なのだが、私はその間に一度部屋に戻ったようで、上着とリュックサックを手にしていた。本が詰まった旅行鞄も持ち出して、近くに駐車してあった車の後部座席に放り込んだ。そのとき戻った部屋は、既に本棚が崩落し、電気も切れ、めちゃくちゃな惨状だった。
建物の外で待機していると、驚くほど大きな揺れが来た。今まで知っている地震とは異なって、地面が波打つような、地面が移動しているような感じの、揺れと言うよりも、衝撃という感じだった。さすがに恐怖を感じる。敷地内のサッカー場が安全だろうと云うことで、百メートルほど歩いてサッカー場の隅で様子を見ていると、そのうちに職場の殆どの人たちが列を成してやってきた。空は曇って、寒い。そこで、一番大きな揺れを経験したと思う。今日、気象庁が報告した分析結果によると、東北沖と茨城沖の三領域の断層の移動が三段階で進行したとのことで、確かに大きな揺れは、数十分の間に時間を空けて三回くらい経験したと思う。一時間近く、サッカー場で職員の殆どが待機したが、それぞれ帰宅して良いと云うことになって、退職するスタッフにお別れを言って解散する。私のいるT市では、予想された交通事故の発生は無かったようで、車はスムースに動いていたが、多くの信号が停電で消えていた。それでも、交差点では車同士が譲り合いながら、問題なく運行していた。職場から25km程の自宅まで、目に見える被害は無かったようだ。自宅も電気が通じていて助かったが、途中のコンビニは停電のため閉店していた。家でも、一番心配していた背の高いスピーカーがインシュレーターから外れてはいたが、倒れずに移動しただけで無事だった。格安で買えたプラズマテレビps3でブルーレイなどを見たり、BSも見る)もテレビ台の上で移動していたが、かろうじて転落を免れていた。被害は瀬戸物のイルカの置物(子供の遠足の土産)が落下して割れていただけだった。T市内では、マンションの水道管が割れて部屋が水浸しになった人もいたそうだ。
帰宅途中の車の中で、ワンセグのテレビ中継を見て、事態の重大さを知った。携帯電話は通じなかったので、家族の状況も分からなかったが、夜になって携帯メールが通じて、皆無事であることが分かった。
友人・家族を失い、家を失い、街を失った方々には、心からお見舞い申し上げます。志半ばで命を失った人びとにも、心からご冥福をお祈り申し上げます。

原発の事故で、気がかりな点は、現在事故処理中の福島第一原発で、核分裂反応は停止しているのかどうかと言う点である。制御棒は完全に挿入されている「はず」なので、教科書的にはその場合核分裂反応は停止しており、名前を失念した専門家が示唆していたように、いわば「余熱」が問題になっているだけである、はずなのだが、テレビを見ているだけではどうもその点がはっきりしない。ちなみに、原子力エネルギーとは、ウラン235に低速中性子線を反応させ、核分裂を生じさせ、その際に発生する質量欠損分の膨大なエネルギー(有名なアインシュタインの式 E = mc2、Eがエネルギー、mが質量欠損、cが光速)のことで、核分裂の際に生じる余分の中性子(照射中性子一個に対し発生する中性子は二個)が雪崩的に核分裂を増殖させるのが、原子爆弾で、制御棒で余分な中性子を吸収し、核分裂反応を定常状態で維持するのが原子力発電である。核分裂反応停止は当たり前すぎるので省略しているのだとは思うのだが。核分裂反応が停止しており、炉自体が損傷していないのであれば、考え方としては、現在の冷却作戦だけで事態は沈静化出来るはずである。意図的な(圧力制御のための)蒸気排出以前の放射能漏洩は、配管関係に漏洩があることを示唆しているのだろう。その辺は、現場での対応が進んでいるのではないかと思う。しかし、実際のところ、どこまで状況が進んでいるのか(悪化しているのか)は、報道が具体的でないので、はっきりしない。漏洩が酷くて手が付けられないと言うのであれば、速やかに遠隔地への避難を進めるほかにないが、現在までの報道による限り、注水の努力が進んでいるようだ。

旧ソ連チェルノブイリでも、あるいは、ロシア(旧ソ連だったと思う)の原子力潜水艦の事故(詳細は今思い出せないが、ドキュメントを読んだことがある)でも、多くの無名のロシア人の文字通りの自己犠牲的な努力によって、事態は収束したことが今では明らかになっている。今回の事故でも、既に何名かの作業員が亡くなっているが、技術者と作業員は、水素爆発の危険性、放射線被曝の危険性を犯して、文字通り命がけで事態の収束を図っていることであろう。心からの応援と感謝の気持ちをお送りします。事態の収束に成功することを祈るばかりである。

そして、その上で、今更ながら、何故このタイミングで千年に一度の大震災が日本で起きたのかを考えざるを得ない。これで、自らの外国人献金問題が発覚して崩壊寸前だった管内閣が延命し、米国軍が日本における存在を誇示する。これはいったい何だろう。報道のごく初期から、「米国海兵隊自衛隊に協力する予定」などのテロップが出て、米国隷従管内閣がこの事態を政治的にも利用しているのではないかとイヤな感じがしている。しかも、米軍は既に現地近くに到達していながら、救援活動を開始したという話を聞かない。やはりアメリカはいざというときには頼れないということが証明されているわけだ。自民党の党首もこの事態を利用して税上げを提案したそうだ。どこまで頓馬なのか常人には計り知れないものがある。

シュタイナーは地震に関しては、私が今一番関心を持っている「アーリマン的なるもの」に関連して言及している。日本人に降りかかった震撼すべき難事と自分の問題意識が大きくシンクロしていることに何か運命的なものを感じる。ここ二日間、テレビに釘付けで、何も手に付かなかったが、そろそろ「アームチェア」人智学徒としての使命に戻らなくてはと思う。それにしても、眠気と頭の鈍い感じが続くのは、何故だろう。一月のインド出張、二月のインド・スロベニア出張、そして三月は大震災という休み無い事態の連続でさすがに疲れが出てきたのか。「仕事場」のCOCO'Sも昨日は閉店していた。