アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

シュタイナーの顔

小林直生さんのブログを発見し、ついつい読みふけってしまう。そのなかにシュタイナーの風貌の変遷を写真でたどる記事があった。晩年近くになって、一部の弟子たちの裏切りにあい、その後急に老け込んだという。確かにその通りだった。悲しみ、諦め、落胆等々がその風貌に刻み込まれていく感じで、痛々しい気持ちがする。今読んでいるのは、その頃、第一次世界大戦の戦中戦後の講演録で、戦前のものには見られない、ある意味で余裕のない切迫した雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。直接的な隠し立てのない言い方で、人類の危機やエソテリックな問題を論じていて、これだけは伝えておかなけれならないというシュタイナーの強い意志が顕著だ。

シュタイナーの死後、科学の進展は驚くばかりだ。シュタイナーの当時、科学主義は唯物論を強化する役目しか果たさなかったことは確かかも知れない。しかし、相対論と量子論によって決定づけられたシュタイナー死後(注)の科学の方向とその成果は、21世紀の現在、むしろ唯物論を克服するための武器に転化するのではないかと私は考える。そのことに人類の多くが気がついていないだけなのではないか。シュタイナーの指摘するように、科学の成果を見るわれわれの観点が逆さまであるだけだと。それがどのように逆さまであるのかを明らかに出来れば、霊的革命が成就するのかも知れない。

(注) 量子力学の基礎方程式であるシュレジンガー方程式が発表されたのが、シュタイナーの死の翌年の1926年。