アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

教会(第三稿)

テレビに依存する孤独者
「戦場の犬たち」
帰宅した傭兵を待つものは
いつもつけっぱなしのテレビが一台

日本人はどこでも
だれと一緒でも孤独だから
テレビの無い公共空間を探すことは難しい
日本人の広場には巨大なテレビがある

日本人は生まれつき傷ついているのだ
傷ついた犬のように
自分の傷をどうしてよいかわからないでいるのだ
テレビを見れば何かわかるかも知れない
毎日
毎晩
テレビを見続ける
風呂のなかでもテレビを見続ける
排泄中も
分娩室にも

なぜならテレビが唯一の教会だから
敬虔なわれわれは寝室にもテレビを置かなければならない
神聖な性の営みはテレビの下で行わなければならない
なにごとであれテレビに見られていなければ意味が無い
生の意味を発生するもの
それがテレビである

テレビから遮断されること
それは生の終わりだ
すくなくとももはや人間であるとは言えなくなる
動物界に墜ちることだ

そこに解放を見るものたちもいるだろう
しかしそれは明らかな異端である
審問官たちは彼/彼女を裸にし
悪魔の刻印をその裸体に探すだろう

テレビに背くことはおそろしい
それは火炙り・穴吊し
人間の想像力の及びうる限りのあらゆる拷問に曝される可能性を意味している

「逃げ道は無いのかって?」
「そうだな、これはフィクションかも知れないが、昔挑戦した女子高生たちがいたらしい。いや完全にフィクションだがそれがどうしたというのだ?」
伊豆高原の廃墟モーテルの話だろ?」
「そこには壊れたテレビと謎のビデオが置いてあって・・・」

あらゆる家庭
あらゆる広場のテレビというテレビから這い出してくる
われらの『貞子』が!
解放者であり贖罪者である貞子が!
あらゆる教会を炎上させる
真の解放者である貞子が!

地震が解いてしまった古井戸の封印
われわれこそが貞子
髪振り乱し泥まみれに這いつくばり進む

「われわれの呪い」は千年経っても消えることがない
その半減期は地球の年齢に匹敵するものだから