1
基督教グノーシスの一派はエデンの蛇にイエスを視たと言う。アナキスト・バクーニンは楽園の蛇=サタンこそが人類の解放者であると主張した。自由の霊は世界の全重量を背負う。自由はとこしえに背理のなかにある。
「創造さるるや否や天使等の一部分は叛逆を企て、地球の中なる地獄へ投ぜられき」
夜、何かが来た。それは古いものなのか。鮮明な幻視と意味の無い形姿。不明瞭な低いつぶやき。
私の孤独? 連帯すべき世代も共有すべき文化も持たない。だから古いものがやってきて何かを伝えようとしてくれたのか。それとも慰めようと? むしろ彼の孤独、闇の中を流れる川音にかき消されそうな彼の声を聞き取ろうとしたが無駄だった。
2
安藤君を偲ぶ会にて。ドストエフスキー的世界。そこで私が感じた怒りの本質は何か? 問いの無い答に従う人間は奴隷でしか無い。自由は問うことのなかにしかありえない。与えられた答に支配される人間たち。
ドグマや教義は答でしか無い。何故?とこそ問え! 直ちにそれらに従うこと=オートマチックな信仰は何を撃つ? 中世の神学者たちを見よ!
私の怒りはだからその場を共有した何人かの個性に対するものでは無い。その怒りの真の起源は恐らく私にも未だよくわかってはいない。ある種の知的流行が元の問いを忘却した答のように若い人生を操ること。
3
「天使の數の夥しきこと、一切の物質的衆團に超る」(神學綱要)
4
子どもの頃だったと思う。芋虫はサナギの中で一度どろどろに溶けると聞いて不思議な思いをした。だとすれば人間も死ぬ前に一度どろどろに溶けるはずだ。そうでなければ天国に行くための羽根が作れないではないか? 羽根の生えた身体を作るためにはこの硬直した宇宙のなかで一度溶けなければならない(既に脳は溶け始めていることを感じる。寝てばかりいるしもはや人に会うことも無い)。悲しみと怖れがわれわれの皮膚を結晶化させる。ヒトガタのサナギ。エメラルドのミイラ。いや、夥しい落鳥の死骸だ!