アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

カール・カウツキー「フランス革命時代の階級對立 VIII サンキュロット」日高明三訳(アカギ書房、昭和21年10月20日発行)より

すでに戰爭はサンキュロットに權力を掌握させてゐた。
ところでかれらはかれらの意味での國家・かれらの意味での社會のために、
戰爭を遂行しようとしたのだ。
封建的搾取は排除されたけれども、
封建國家にすでに發生してゐた資本主義的搾取は排除されなかつた。
いな資本主義的生産方法・資本主義的搾取は、封建的制約の拂拭そのもののおかげで、急速に躍進すべき自由の大道に到達してゐたのだ。

この資本主義的搾取のいろいろの様式、
なかでも商業や投機や高利による搾取を撤廢するか少なくとも抑壓することが、
封建的搾取の再建をのぞむものを克服することとおなじく重要だといふことが、
やがてサンキュロットの目に映つてきた。
だが資本主義的搾取の撤廢は當時では出来ないことだつた。
あたらしいそしてより高い生産方法へ移行するための條件がまだなかつたからだ。

かうして情勢はサンキュロットにとつて絶望的であつた。
事實の諸關係はかれらの手に權力をあたへた。
しかしかれらの恒久の制度をつくる可能性は消失した。
さうではあつたけれども、
全フランスの權力手段を左右することができたかれらは、
飛躍する資本主義經濟がもたらし・戰爭がより深めた逼迫におめおめ屈することはできなかつたし、
のぞみもしなかつた。

かれらは經濟生活にたいする強力的干渉によつて、
すなはち徴發、
生活必需品の最高價格決定、
搾取者たる投機業者・株式仲買人・穀物暴利商人・詐欺的御用商人・の斷頭によつて、
目標には毫も近づかぬ闘争をたたかはねばならなかつた。

搾取は九頭の怪蛇(ヒドラ)のやうだつた。
首を斬れば斬るほどそれだけまた新しく生えてきた。

このヒドラを抑へつけやうとしてサンキュロットはますます過激になつていつたのだ。

かれらは革命を永久的と宣言しないわけにはいかなかつた。

かれらは搾取との闘争で、
かれら自身が生産手段の要求にも他の階級の利益にも矛盾すればするほど、
それだけ恐怖政治を ー 強行そのものがかれらに戰時状態を強ひた恐怖政治を、
ますます峻嚴に實行しないわけにはゆかなかつた。

けれども内外の敵にたいするフランス軍隊の勝利が共和國を安全にしたとき、
革命救濟のための恐怖政治の必要は終り、
今やそれは經濟發展の障碍としてますます耐へがたく感ぜられはじめた。

そのときからサンキュロットの敵は急速に強くなつた。
そしてちやうどそのとき絶え間のない闘争でもともと目だつて減ってきてゐたサンキュロットは、
逃亡や士氣沈滯のために急激に力をなくしてきた。
フランスの軍事力が勝ちほこればほこるほど、
それだけサンキュロットは軍隊にたいしてもブルヂョワジーにたいしても 
 ー それは今では成りあがつてルンペン・プロレタリアートを手なづけてゐた ー、
權威がなくなつてゐた。
かれらはつぎつぎに地歩を失ひ、
ついには言ふ甲斐もない無價値に沈んでいつた。

エベールの挫折を序曲とするロベスピエールの顚落〔炎熱(テルミドール)の月9日、すなはち1794年7月27日〕をもつて始まり、
牧草(プレリアル)の月4月〔1795年5月24日〕をもつて封印されたかれらの没落を、
人は革命の坐礁と呼ぶ。
あたかも、
諸關係のもたらした事實である歴史現象が「坐礁」することができるかのやうに!

個々に計畫された事業や一揆や暴動は坐礁することができる。
しかし完成したときはじめて革命となる發展は坐礁することができない。
坐礁した革命は革命ではなく、
革命の坐礁しえぬことは嵐の坐礁しえぬのとおなじである。

もちろん嵐のなかで坐礁する船は多く、
革命のなかで坐礁する黨派は多い。
しかしさういふ黨派を革命と同一視したり、
さふいふ黨派の定めた目的を革命のそれに置き換へたりすべきではない。

ジャコバン黨員もパリ城外市民も坐礁した。
なぜなら諸關係は、
小市民とプロレタリアートとに好都合な革命を許さなかつたし、
資本主義革命を妨げるものを悉く存續不能にしたからだ。

しかしかれらの行爲は空しいものではなかつた。
ブルヂョワ革命を救ひ、
世界のいづこにも起こらなかつた様式で震い封建國家を拂拭し、
執政官政府とナポレオン時代とのもとに魔術の速さで短日月に新生産方法・新社會が生長すべき基盤・を担らし準備したのはかれらであつた。

資本家には出來なかつただらうことを、
その最も嫌悪する敵が成しとげたといふのはこの上もない皮肉である。

   ***

フランスの・なかんづくパリの革命的な小市民ならびにプロレタリアートの鬪争は結局敗れはしたけれども、
その鬪争はかれらにとつて無駄ではなかつた。
かれらが鬪争中に展開した巨人のやうな力や、
かれらの果たした偉大な歷史的役割は、
かれらに自覺と政治的熟成とをあたへた。

それは束の間に消え失せるやうなものではなく、
現在にも影響を残してゐる・
ジャコバンの傳統は永いあひだフランスのブルヂョワ急進主義の周邊に若々しい光をほのかに投げてきてゐる。
最近までフランス・ブルヂョワ急進主義がその頽齡にもかかはらず、
常に他のどのヨーロッパ國家の同輩よりも勇敢に行動したのはそのためであつた。

のみならずこの傳統は他方では現在でも、
プロレタリアートの一部を 
 ー それはむろん段々減少してはゐるが ー
曳航索にひいてゐる。

わが歷史家諸氏は、
恐怖におののきつつ、
ジャコバン黨員のひとりひとりに共産主義者を發見してゐる。

ところで本當のことを言へば、
フランスに巨大な統一的自立的な社會民主勞働黨が生まれるのをいちばん強く妨げたのも、
そのジャコバン的傳統にほかならぬのである。