アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

黒い自画像の夢

写真のようだが、顔以外は、すべて漆黒と言ってよいほどの黒だ。黒いマントのようなものを羽織っていて、顔だけが白っぽく浮かび上がっている。唇がわずかに歪んでいるらしく、口の右下に陰が見える。不思議なのは、子どもが一緒にいることで、それはどうも私らしい。腹の部分に、漆黒の子どもがいるのだが、それは、目まで黒く、レリーフのようでもあり、映画「スター・ウオーズ」で凍結されたハン・ソロハリソン・フォード)を連想させる。外套の襟が立っていて、しかも鋭角に尖っており、違和感がある。下に着ているジャケットも黒だが、外套と同じように襟が立っていて、二重に立っている襟がどうも変に思えた。

自画像の夢は見た記憶が無い。しかし、これは、今の自分の状態を正確に表現した夢である。黒い服装は、拘束衣なのである。尖って立った二重の襟の醜さは、プライドの醜さなのだ。漆黒の闇を背負ったようなマントは、拒絶、防御の姿勢そのものだ。その中心部で、自分のなかの子どもの心、素直な、人を求める気持ちが凍結されている。唇を歪めて白く浮かび上がった顔は、そのような自分を自嘲しているのだ。

☆これは初めて見る自分自身のイメージの夢なのですが、前夜、真っ黒いカレーを食べ、スカイプの設定で、パソコン画面上の自分の写真を見たことがきっかけになって、映像化したものであると思われます。

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今朝の夢。ここで抑圧されているエネルギーは何らかの形で発露するし、まぎれもなく「実在」している。それこそが人生を進める力そのものなのだとさえ思う。そして、おそらくそれは個人の場合に限らない。社会が見る夢もあるはずなのです。今はそれを詩に昇華することもできない。悲しくなってきた。頭も少し痛い。横になってマコ伝でも読もうか。

フロイトを読んでしまうと、逆にそのフロイト力に夢の世界が浸食されてしまいそうで、こわいので、読まない。なんか、自分が大事にしている世界が汚されそうで、こわい。これから先いつになったら、読めるか、わからない。青少年(と私の)のフロイト・バージンを守れ!