アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

暴力をめぐって

今、坪内逍遥訳のハムレット(昭和七年発行)を読んでいるのですが、帯刀していた頃の要人はその行為も言動も命懸けだったことを改めて考える。今は、政党も政治家もどんな嘘をついてものうのうと生き長らえる。これは剣呑なツイートですが、文明が進歩して失うものの大きさも計り知れないと思った。

暴力と権力の問題。考え込まざるをえない。今は、昔と違って、権力を握った手応えが希薄である分、自分がその権力を遠回しに行使して、恐ろしい暴力を振り回していることが自覚できないのでしょう。もちろん、原発問題の話ですが。

Zさんがプチナイフ携行の罪で逮捕されたことは象徴的で、微細な暴力までも取り締まる神経症的な世界のなかで、目に見えない巨大で陰惨な暴力はその暴威を振るいまくっているわけです。

なんか偉そうなことを書いてしまった。ツイッターこわいね。

shirai motoo ‏@motonosuke0328
@longtonelongton 明治初期の政治家は、ほとんどがテロリストでしょう。伊藤博文は、何人殺したかわからない。西郷隆盛も、相当数の死体を踏み越え、権力者の地位に。まさに命懸け。みんな「親分」でした。

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@motonosuke0328 なるほどね。言われてみれば・・・。近代、暴力が個人の手から奪われて、国家の専有物になり、その涯が、大量虐殺の時代だったという。インド・シヴァ神の仏法の守護者としての化身がスケイシュラ王というそうで、先日三十三間堂で対面してきました。黒人的風貌。

なぜ、暴力は姿を変え、形を変え、人類の歴史のなかで生き続けるのだろう。暴力って、何だろう? それは決して死なない何かなのだろうか。

近代においては、産業も経済も、何よりも科学技術が、暴力という怪物の成長にとっての食料であり、育ての親なのだ。近代的な暴力は、スピリチュアル系の主張するような個人的改革では決して死なない。本質的に社会的な存在なのだ。単一の悪、善の対立物としての悪という単純な把握は当然無効である。

暴力は社会に憑依するのだ。

坪内逍遥ハムレット 読み終えました。やっぱりシェークスピアすごい。坪内逍遥の翻訳は、時代劇みたいでかっこいいです。ハムレットは確かに時代劇ですね。

ロックンロール緑顔 ‏@GRNFC
@longtonelongton シェイクスピアは、翻訳で読んでも、セリフの一つひとつが芸術だよね。

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@GRNFC  まことにその通りです。メモしたいけど、それが追いつかない。台詞がそのまま詩になってる。

ロックンロール緑顔 ‏@GRNFC
@longtonelongton うん。僕もたくさんガツンときた言葉がありすぎて…脇役のセリフ、特に道化のセリフのも捨てがたい。マクベス真夏の夜の夢にすごく印象深いセリフがあった、はずだが覚えてないorz

armchair anthroposop
‏@longtonelongton
@GRNFC 今日読んだところでは、墓掘り人足とハムレットのやり取りがすごかった。真夏の世の夢は、急いで読んでしまって、意外に印象が薄い。魔術の凋落を示す大事な作品なのにね。じゃ、次は、坪内逍遥訳はマクベス読むことにする。全集を七千円だったかで買っちゃったんだ。

ロックンロール緑顔 ‏@GRNFC
@longtonelongton 僕ももう一度読んでみよう。震災以降、読書ができなくなってるんだ。昔は本の虫だったのに。

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@GRNFC 震災は大きなトリガーだった。私の生活も変えた。震災後、理系の勉強(数学とか物理とか)は殆ど止めてしまっていて、文系の勉強に切り替えました。自分として、悔いの無いように。以前から考えてはいたけど、その切り替えが早まった。

ロックンロール緑顔 ‏@GRNFC
@longtonelongton 僕、逆。文系だけど理系をやりたい気分。結局、ツイッターしかやってないけど。

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@GRNFC なるほどね。ツイッターは気をつけないと、時間の浪費が激しい。ひとりで働いていたりすると、人恋しさがあって、見ちゃうね。

ロックンロール緑顔 ‏@GRNFC
@longtonelongton that's me, Bob.

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@GRNFC I guess so.

ロックンロール緑顔 ‏@GRNFC
@longtonelongton don't guess so.

アマゾン先住民虐殺か、ベネズエラ政府は「証拠発見できず」 | Reuters http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE88302520120904 … ベネズエラ政府がヘリを飛ばして調べて、わからなかったという。ジャングルを歩いた訳ではない。今まで生き延びてきた原罪以前の人間たち。黄金崇拝の蛮人の手から逃れた?

ヤノマミ族の人は、ジャングルで蛇に出会うと必ず殺すそうですが、私には、それが、蛇の誘惑を退ける楽園の住人としての象徴的な行為に思えたのです。彼らの無事を祈るほかに無し。

『なぜ、暴力は姿を変え、形を変え、人類の歴史のなかで生き続けるのだろう。暴力って、何だろう? それは決して死なない何かなのだろうか。』

しげ ‏@shigeharu1902
@longtonelongton なんでしょうね。そういえば、近代国家の定義を国家の暴力独占と習いましたね。イメージとしてはダムや堤防だったりします。水量が急激に増えても、決壊しない治水のやり方があると思います。より大きなダムや堤防で抑止するんじゃなくて。まず山の保水力を上げ…

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@shigeharu1902 それはつまり、人間世界における暴力の全体の量の保存則みたいな考えですね。今は、その暴力が、質、量ともに著しい変態を遂げてしまって、その勢いに人類が追いつかなくなっている。とりもなおさず、それが、人類滅亡の一つのイメージではないかと思います。

『暴力は社会に憑依するのだ。』

しげ ‏@shigeharu1902
@longtonelongton 歴史上の英雄というのは一つのダムなんだなと思うときがあります。下流に暮らす僕たちはその恩恵を受けつつ壊してみたい欲求にも駈られる。英雄かわかりませんが僕は信長というダムを壊してみたい。その手前の家康、秀吉というダムや周りのたくさんの砂防ダムも。

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@shigeharu1902 今は英雄不在の時代で、その代わり、「エネルギー」なる非人格的存在が世界の主催者であり、東電も、IAEAも、官僚も、エネルギー神社の神官であり、巫女である。それが私の終末論かも知れません。エネルギー信仰との戦いは、新しい宗教戦争です。宗教改革の必要性。

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@shigeharu1902 坂口安吾が信長を描いていて、私も信長とその時代には関心を持とうとしています(笑)。鈴木さんというマルキストの日本史家で土一揆の研究者が岩波新書で信長の本を出していますね。鈴木さんの土一揆研究は、羽仁五郎の幕末研究と共に、ぼくの宿題なのです。

しげ ‏@shigeharu1902
@longtonelongton そのエネルギーのために上流で何かをせき止めているのではと思うんです。巨大なエネルギーの生産設備ではなく、多様な人まかせではない参加型の発電…そういうのがいいなあと思うんですが、そのためにはコンクリートで固められた暴力をほぐさないとなって思います。

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@shigeharu1902 歴史意識の上でのエネルギーと、物理的エネルギー(電力)の話がごっちゃになってますが、それがまさしく時代状況か。暴力に憑依されることは、個人でも集団でも、国家、民族でも容易に生ずる。唯物論的世界・資本主義世界はそれとの付き合い方・対処法を未だ知らない。

しげ ‏@shigeharu1902
@longtonelongton すみません、混乱させて。では歴史意識のほうで。鈴木良一さん。戦国のゲルニカ大阪夏の陣図屏風を大阪城に入れた方ですね。僕は一向一揆に関心ありますので、当然土一揆にも興味あります。信長に代表されてしまうあの時代の変革を多様なものに捉え直したいです。

armchair anthroposop ‏@longtonelongton
@shigeharu1902 話が飛びますが、信長以前は仏教、以後はキリシタンの関係が興味深いです。正直、私はジャパネスク関係は苦手でした。今は、梁塵秘抄を読もうかなんて思っています。宗教意識と詩魂が民衆レヴェルで結晶化した希有な例かと。そのうちのいくつかでも心に響けば本望。