アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

大日本三千年紀研究會のためのメモ マルクスの認識による破壊神としての「大工業」の現代性

大工業は、この保護手段にも関わらず、競争を一般化し(競争は実践的な商業自由であり、保護関税は競争においては一つの姑息手段、商業自由における一つの防護手段であるに過ぎない)、交通手段と近代的世界市場とを作りだし、商業を自己に従属させ、一切の資本を産業資本に転化し、したがってまた急速な流通(貨幣制度の完成)と諸資本の集中とを産み出した。

大工業は、一般的な競争によって、すべての個人に各自のエネルギーの極度の緊張を強いた。

大工業は、イデオロギー、宗教、道徳、等々を能う限り破壊し、また、破壊し得なかった場合には、これらのものを一目瞭然な虚妄となした。

大工業は、それが文明国民とその中の各個人とを各自の欲望の従属において全世界に依存させ、個々の国民の従来の自然発生的な排他性を破壊した限りでは、初めて世界史を産み出したものである。

それは、自然科学を資本のもとに従属させ、また、分業から自然発生的という最後の外観を取り去った。

それは、労働の内部でそうすることが可能な限りにおいて、一般に自然発生性を消滅させ、すべての自然発生的な関係を貨幣関係に解消した。

それは、自然発生的な諸都市の代わりに、一夜にしてできあがった近代的な大工業都市をつくり出した。

それは、それが侵入したところでは、手工業を破壊し、一般に工業の一切の従来の段階を破壊した。

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大工業は、一般に至るところで社会の諸階級間の同じ諸関係を産み出し、また、かくすることによって、個々の国民の特殊性を消滅させた。

そして最後に、各国のブルジョワジーがまだ別々の国民的利害関係を固執している間に、大工業は、すべての国民において同一の利害関係をもち国民性をすでに抹消している一階級を、現実に旧世界全体から離れ去り且つ同時にこれに対立している一階級を、つくり出した。

大工業は、労働者にとって、資本家に対する関係を堪え難いものにするだけでなく、労働そのものを堪え難いものにする。

 カール・マルクスフォイエルバッハ「ドイッチェ・イデオロギー」第一部 ー唯物論的見解と観念論的見解との対立ー B イデオロギーの現実的基礎 1.交通と生産力: 岡崎次郎訳(河出書房・世界大思想全集・昭和二十九年発行)より

 マルクスの言う「大工業」が、世界を制圧していく情景が圧倒的な迫力で描写される。ほとんど詩のようですらある。それこそが、イデオロギー、宗教、道徳を破壊し、科学を資本の下僕にした。それこそが、あらゆる個人の生を、競争の下に置き、前代にない極度の緊張を強いた。「同時代人」マルクスの面目躍如です。マルクスは、今こそ、われらの同時代人なのです。マルクスの認識・分析には共感せざるを得ません。
  問題は、そのあとにやってくる。二十一世紀、反唯物論の私にとって、マルクスの提示するプランは、褪色した壁新聞の記事でしかないのです。それなら、どうする? それが問題だ。