アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

鐵の処女で竹中直人を拷問にかける夢

薄明るい部屋である。
私はもう一人の人物と、ひとりの男を拷問にかけているらしい。
「鐵の処女」は天上から支えられているようで、直立している。
尖った鐵の先端がいくつも、閉じられた拷問具の表面から抜け出しており、既に男は絶命しているはずである。
もう一人の人物が拷問具の扉を開ける。
惨状を見るに忍びない私は目を背けるが、内には竹中直人が立っており、身体の各所からうすいピンク色の血液が滴っていた。

もう一人の人物(男性)が随伴する夢は、このところのパターンだ。
竹中直人は、私と同い年で、私と同学年の日本人には、あまり大した人物がいない。皆、どこか、真剣さを露わにできない体質を持っている。常に、どこかに「逃げ」を用意しているのである。竹中直人は「泣きながら笑う人」の芸で売り出した。ここで拷問されている人物は、実は私自身なのだろう。

最近、木原孝一「人間の詩学」で、ベルイマンの「野いちご」の冒頭のシーンの描写を読んで、強い印象を受けたことがこの夢のモチーフに関わっていると思うからだ。「野いちご」の主人公が、浜辺に漂着した棺を開けてみると、中に自分自身が横たわっている。私は、未だ、この映画は見ていないのだが、誰かが書いているこのシーンについて読む度に、強く喚起されるものがある。

自分の霊的な指導者と共に、自分自身を拷問にかけている。そう言う夢だった。しかし、思ったよりも、その惨劇は、ひどいものでもないのかも知れない。ピンク色の血液が、うっすらと流れている程度の。

ここ数日、身体的な疲労感が深い。子どもの頃から、疲れ切って寝て、目が覚めると、口からよだれを垂らしていたことに気がつくのだが、今回もそうだった。しかし、そう言う深い眠りには、回復感と満足感も強い。昨日も、早く寝たのだが、内的な身体の問題に関わった疲労感なのかも知れないと思う。その場合、どこか、身体の内部で血が流れ出しているとでも表現するしかないような、そんな感覚があるようだ。