アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

いわば法律上と事実上の二つの主権者が生じるようになれば、たちまち社会的結合は消滅し、政治体は解体するであろう。「社会契約論」ルソー

国家と政府という二つの団体の間には、次の本質的な相違がある。前者はそれ自身によって存在するのに対し、後者は主権者によってのみ存在する。

だから統治者の支配的意思は、どこまでも一般意志、言葉をかえれば、法に他ならないか、またはそうでなければならない。

彼らの持っている権力は彼らの内に集約された国家権力にほかならない。彼らが何らかの絶対的、独立的な行動を自分の専断で行おうとするやいなや、国家全体を結びつけている紐帯は解け始める。

最後に統治者が主権者の意思以上に能動的な特殊意思を持つようになれば、また、この特殊意思に従おうとして、その掌中に委ねられた国家権力を使用し、そのため、いわば法律上と事実上の二つの主権者が生じるようになれば、たちまち社会的結合は消滅し、政治体は解体するであろう。

  ルソー「社会契約論」第三編 第一章 政府一般について

現在の日本の統治者=政府(官僚)
法律上の主権者=日本国民
特殊意思=電力会社・経済界・グローバル化勢力・アメリカ

ルソーに従えば、今の日本は、政治体としては解体し始めていると考えるほかに無い。誰がそれを望み、推進しているのでしょうか。自らの利益と損失しか考えられない経済界・電力会社には、そのような観点はそもそも望み得ない。グローバル化勢力にとって、まず初めに独立した政治体としては解体して行くべき先進国が日本であるという位置付けでしょう。日本の大企業は、もはや日本国籍を捨てること(=グローバル企業化)で、実質的に無国籍な法人格だけが生き残れればいいと考えているのでしょう。

 なんだか、回りくどい言い方をしました。
 
 野田内閣・政府が、大飯原発再稼働を決めたことは、自ら、国家転覆の時限爆弾に着火したことです。
 
 政府自らが、最大のテロリストになったわけです。
 
 国民の命よりも、経済界(=グローバル化によりもはや日本の利益に顧慮しない無国籍資本家)の利益が大事だと公言したわけです。

 
 国家権力は、ルソーによれば、一人一人の国民が、国家と契約を交わすことでその有効性を発揮している。
 
 その契約とは、国家権力(=法の支配)に個人としての国民は従うが、その代わりに、国家が、国民一人一人の生命を守るというものだ。
 
 現在の政府は、この社会契約を自ら破ってしまった。つまり、国家権力の根拠を踏みにじったことで、政府としての正当性を自ら捨てたのです。

  
 これは恐ろしい事態です。
 
 グローバル化勢力の望むとおり、野田内閣は、日本の国家体制を自ら転覆させる。
 
 これ以上のテロは無いのです。