アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

読書メモ シュタイナー・コレクション6「歴史を生きる」他

ここ数日、頭部が火照って仕方がない。体温計では平熱だと思うのだが。「岩下の新生姜」のせいかな。以前、トマトをたくさん食べた晩、夏だというのに、布団のなかで歯の根が合わなかったことがある。トマトには身体を冷やす働きがあるのだ。生姜には身体を温める働きがある。私はどうも、そういう食品の効果に対して敏感な体質のようだ。
以下は読書備忘録。

歴史を生きる (シュタイナーコレクション6)

歴史を生きる (シュタイナーコレクション6)

【シュタイナーコレクション6「歴史を生きる」】
内容の一部分ですが、気になる項目を箇条書きしておきます。
(1)エジプト・カルデア期の神話的英雄ギルガメシュとエアバニ、そのギリシャ・ラテン文化期における転生としてのアレクサンダー大王アリストテレス。秘儀参入者としてのアリストテレスの秘教的側面は、スペインやアラビアに伝えられる一方、中部ヨーロッパにはその顕教的側面のみが伝えられたこと。これは、フランセス・イエイツ「魔術的ルネサンス」の主張に繋がる話だと思った。

魔術的ルネサンス―エリザベス朝のオカルト哲学

魔術的ルネサンス―エリザベス朝のオカルト哲学

イエイツによると、1492年のスペインからのユダヤ人追放によって、彼らの秘教的カバラ等の知識がフランス、イタリア、ドイツ、イギリス等に拡散・伝播したことが、ルネサンスにおける秘教的学知復興の大きな要因の一つであった。中世ヨーロッパの知性を支配した顕教アリストテレス主義に対抗して、スペインで秘教研究に没頭していたユダヤ人たちが秘教的アリストテレスを消化吸収していた可能性を考えると、ルネサンスにおけるオカルティズムのスペクトルに新たな色彩が加わることになる。

現在の我々に伝わっているアリストテレスの著作は、もちろん顕教的側面のみである。例えば学生の頃読んだ「ニコマコス倫理学」は論理一辺倒で、プラトン的霊性思想とは無縁だと思わざるを得なかった。しかし、シュタイナーは、秘儀参入者としてのアリストテレスアレクサンダー大王が人類文明において果たした意味を力強く語る。ここで思い出されるのは、井筒俊彦初期の代表作「神秘哲学」である。

神秘哲学―ギリシアの部

神秘哲学―ギリシアの部

本書で井筒は、一見無味乾燥でプラトンイデア主義とは袂を分かつかに見えるアリストテレスも、実はプラトン同様の高い(深い)イデア体験の持ち主であると強調している。これは、上記シュタイナーの言と全く一致しており、心強く思った。

(2)エジプト・アレクサンドリアにおける女性秘儀参入者ヒュパティアの殉教。
最近見た「アレクサンドリア」という映画がまさしく、ヒュパティアが主人公で、初期キリスト教の暗黒面を描いていたのだが、シュタイナーも、この事件の頃、キリスト教の悪い側面が強く出ていたことを本講演で指摘していて、思わず膝を打った。

(3)背教者ユリアヌス。
このタイトルで辻邦生が小説を書いていて、学生時代読んだのだが、当時は知識が無くて、単なる歴史ロマンに過ぎなかった。シュタイナーの記述と比べてみたい気もするが、かなりの長編です。

背教者ユリアヌス (上) (中公文庫)

背教者ユリアヌス (上) (中公文庫)

背教者ユリアヌス (中) (中公文庫)

背教者ユリアヌス (中) (中公文庫)

背教者ユリアヌス (下) (中公文庫)

背教者ユリアヌス (下) (中公文庫)

非常に散文的な読書メモになってしまったが、本書「歴史を生きる」は、真剣に人智学を学んでいる人にとっては、一度は最後まで読み通すべき本である。第二部(1923年)は、ゲーテアヌム焼失翌年のクリスマス会議における講演録なのだ。第一部(1910年)の主題が再び異なる角度から取り上げられており、翻訳者・高橋巖先生の編集意図が腑に落ちる仕掛けになっている。1922年は、ゲーテアヌムが放火焼失しただけではなく、シュタイナー自身もドイツの講演先で暗殺未遂事件に遭遇していたことを不覚にも初めて知った。

西洋オカルティズムにおける一大スローガン「大宇宙と小宇宙の照応」も、シュタイナーによって初めてその具体的な意味が一般に公開されたといって良いのではないか。本書もその観点から読むと、近代以降、大宇宙から切り離された人間が、再び大宇宙との紐帯を取り戻すための道程として、シュタイナーの教唆するものがはっきり浮かび上がってくると思う。