アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

こどもの日・上野恩賜公園モデ・のどかな報告

五月五日こどもの日。当日は、前日までの暗い雨の日々が嘘のような、爽やかなモデ日よりになる。早めに常磐線で上野に着いたので、西郷さんの銅像までともかく行ってみた。遠目に段ボール紙を小脇に抱えた不審な人物を見かけたが、私と入れ違いで見失う。後で分かったが、それは、西郷さんの銅像の下で一夜を過ごしたH君だった。H君は、ゴッホの絵で見た笛を吹く少年(記憶が曖昧)のような格好だったが、前夜、ライブハウスに出演していたらしい。

公園内は、ゴールデンウイークの人出で賑わっている。垢抜けない、田舎っぽい人ばかりで、原宿や渋谷をそぞろ歩く階級とは明らかに異なる。東北と、東京下町の雰囲気と、外人観光客。樹陰に入って、駅構内で買った「石狩ちらし弁当」で昼食。周りはピクニックしている家族連れなど。その後、コースの下見。動物園正門は、こどもの日ということもあり、長蛇の列だ。どうしようかと思ったが、案内図を見ると、池之端口という裏の門があるので、係の人にたずねると、そちらは空いていると云うことだった。時間があったので、試しに歩いてみた。細めの石段を下って、上野の山を下山し、車道を横断歩道で渡る。弁天様は不忍池の出島だ。池を横断する形の参道は、出店が一杯で、参詣客で混雑している。弁天様を抜けるとボートが浮かぶ不忍池の水面が涼しく広がる。動物園池の端口まで行って、下見を完了し、西郷さんまで戻ると一時二十分で、既に何人か集まっていた。編集者のSさんも来ていただいて、感激。

人数が集まってきてから、西郷さんの近くで防護服を着用。もぞもぞしながら白い防護服に手足を通していると、周囲の視線が一斉にこちらに向く。猫八さんはコスプレ慣れしているから良いが、私は初めてなので、恥ずかしくて、最初は目が上げられなかった。

二時になった。ざらすとろさんは三十分遅れると言うので、先に出発することにした。出発前に、一応何かスピーチすべきだと気がついて、しどろもどろに変なことを云った。「これは愚行であり、実験だが、史上最低の脱原発アクションをわれわれが担うことができれば、この後の新しい試みの人たちも、気が楽にやれるのではないか」のようなことを云った気がするが、正確には思い出せない。誰かが映写機(ビデオカメラか)を回していたかも知れない。この段階で数えると、総勢十二名だった。十二使徒だ。宣教に出るのだ。しかし、後で記念写真を調べて見ると、十一名なのである。良く分からない。見えない人が参加していたのだろう。ともかく、この段階では、防護服は私と猫八さんの二名、他の人たちは、首に包帯で、まず、行楽客で賑わう上野公園の、人々のなかに入っていった。

この時点で明らかになりつつあったが、モデには、警察も、公安も現れなかった。「コスプレ散歩」にすぎないので、それが当然なのだが、やはり、届け出の要らないモデの利点が明らかになった瞬間であった。今回の第一回モデには、こういう点を探る試行錯誤、実験の意味も強かったので、これは実は大きな成果である。がんじがらめに管理された現在の日本で、国民、市民、人間に、政治運動、言論、表現運動を行う自由が一体どこまであるのか。憲法には保証されているはずだが、実際はそうではないと感じている人は多いだろう。モデには、われらの自由の領土を広げていこうという意図もあった。

歩き始めると、意外に人々の抵抗感が少ない感じだった。首の包帯は、余り目立たない。圧倒的多数の行楽客の目に入っているのか。しかし、明らかにギョッとした感じで見る人もいる。いとうさんによれば、「放射能・・・」というつぶやきを何度か耳にしたそうだ。意図は伝わっていると思った。

そうこうするうちに、ざらすとろさんが公園に着いたというツイートがあり、西洋美術館前で、彼を待つことにした。やがて真打ち登場。ざらすとろ師と十二使徒という数あわせが成立したようだ。猫八さん提供のタイベック防護服とざらすとろさん持参のそれで二着増えたので、参加者に着用してもらい、防護服が四名に増える。ざらすとろさん自身は、自分で着られる大きさのものが無く、頭と首に包帯。下見した通りのコースを進む。やがて、ざらすとろさんが、「みなさん、チェルノブイリ・ネックレスと云う言葉を御存知ですか」と歩きながら、人々に語り始めた。この辺りは、ビデオが公開されているので、ご覧下さい。ともかく、勇気のあるざらすとろさんの行為で、モデも輪郭が鮮明になった。

動物園正門の前を迂回し、小さな遊園地の前の細い路地を通って、モデの一行は下見したコースを進んだ。笑い声が絶えない。楽しくて、面白い事になってしまう。しかし、そうではあるが、ざらすとろさんの真剣なスピーチにも聞き入ってしまう。ざらすとろさんが、u-streamで中継してくれた。四人くらい見てくれていたが、一体誰なんだ? という話になる。やはり知り合いとか、身内だろうか。このビデオ中継は、アーカイブされて、今でも見られるので、是非、お楽しみ下さい。

弁天様の前では、インドの神様に詳しいざらすとろさんの蘊蓄にも感心した。どうも、ざらすとろさんの独擅場みたいだが、弁天様の参道では、江戸マニアの猫八さんが石碑に見入ったり、皆でお香を身体に当てて頭が良くなるように努力したり、大いに楽しみました。

不忍池、池の端で記念撮影。スカイツリーが池の向こうの空にそびえているのですが、写っていないようだ。

動物園の手前で、クレームがつくといけないので、予定通り防護服を脱ごうとしたら、Sさんが、「べつに問題ないし、いいじゃないですか」と、リベラリストらしいことを云う。私も調子が良いので、「あ、そうか。フードを脱げばいいや」等と返し、結局、三人は防護服のままで、入り口で切符を渡して入園。動物園では、こどもと同じで、一堂、動物に夢中になってしまったが、存在感は主張できた。特に、こびとかばの室内のベンチで一堂が休んでいると、カバを見終えた大人とこどもがこちらをじろじろ見ながら通り過ぎてゆく。

象はこんなに大きいものだったかと驚いた。
私は、バクに不思議な存在を感じた。
アリクイはやはり怖い。

五時頃動物園を辞す。上野公園の一角で、「変態万歳」を三唱して解散。
H君は、大事な段ボール箱の板(睡眠用)を小脇に抱え、上野恩賜公園から自転車で三鷹の自宅に帰って行く。睡眠不足を心配しつつ、その勇姿を皆で見送った。

今、日本で最も敷居が高いと云われているこのカルト的脱原発運動に、十三人もの参加者がいたことは驚きである。原発推進派に向けて放たれた十三人の刺客

夜、刺客達は、ハエナワさんご贔屓の御徒町「さんまる」で、ニッカウヰスキー8割のハイボールを飲んで、熱く語り合った。
スーパームーンがわれらを見ていた。