アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

エネルギーを授かる夢

元日は、早めに目が醒めた。曇り空の下、初日の出は拝めないが、清々しい気持ちで朝の散歩に出た。近所の野菜集荷場の裏手に小さな神社があって、最近大工仕事が入って立派になったことを思いだし、その足で初詣に行くことにした。元日は、散歩に出る前に、旧約聖書詩編119「アルファベットによる詩」を読んでいたので、自分の宗教的態度はどうなのかと一瞬考えたが、これで正しいのである。詩編119によれば、「アルファベット」は、ヘブライ文字アレフ・ベトが起源らしいと気がつく。空はまだ薄昏く、なまこを平面に展開したような雲がどこまでも続いていた。小さなお社に近づくと、いつもは閉じている正面の扉が朝から開けてあるのが見えてきた。賽銭が必要だと思い、道を引き返す。家から七百メートルほどの距離だろうか。賽銭持参で神社に着くと、先に一人、農民らしいおじさんが来ていて、お社の背後にある古い石の祠に何やら塩のような粉を蒔いていた。初日の出が見えなくて残念だのう、と声をかけられた。

二日は下の子供を連れて松戸の実家に行き、母とおせち料理を食べた。二階の兄の所帯のリビングはオーディオ・ルームになっていて、怪しげな同心円の紙で作ったオブジェが至る所に貼ってある。「共振防止」のお呪いらしい。45回転アナログ盤でコルトレーンジャイアント・ステップス」聴かされる。

今日は、病院で年越しした猫の退院の日だった。階下で上の子供が看病している。私は疲れが出て、夕方ベッドで午睡を取った。その時の夢が、初夢ということにしてもいいだろう。寝ていると、また、何かが来た。一瞬、弱い恐怖感があったが、これを受け入れるのが私の課題なのだ。今回は、全身をエネルギーが貫いた。発射寸前のロケットのようなエネルギーで貫かれる。目の前が白っぽくなり、そのエネルギーの流れに従って、両腕が上がり、胸の前でクロスする。ツタンカーメン像のようなポーズだった。そのまま、身体を抜けて行く感覚があったが、夢の中で目が覚めて、誰かに大丈夫かと声をかけられる。私はそれに答えないで、うずくまってしまった。

今年は、もっとまじめに努力しなければという激励かも知れない。本質的でないことにエネルギーを使うことを止めて、精進すべきなのだろう。社会的な存在として生まれ変わることが目標だ。もっと勉強しよう。一人だけではなく、仲間とも勉強したい。そして、ツアラトストラではないが、山を下りて、街角で人々に訴えかけ、話しかけることが出来るようになれれば本望だ。そのくらいの危機感を、一人の日本人として、多くの仲間たちと共有しているのが今の時代である。