12月24日のツイートの一部です。「みんなで決めよう原発国民投票」への懸念の再度の表明です。「怪しさ」等と強い言葉を使ってしまったことは不徳のいたす所ですし、まじめに関わっている方には申しわけありません。しかし、原発推進派は悪魔的狡知(注)の限りを尽くしてこの狭い日本に50機以上の原発を立て続けた連中です。人々の善意をこそ利用することに、何のためらいもないでしょう。私は、以下の理由で、強い懸念を持つ者です。
(注)独占的な電力販売による「収税」にも似たシステムにより、日本を実質的に支配できるほどの勢力になった原発帝国。その意味では、NHKも、決して一枚岩ではないにせよ、より強制的な「収税」システムによって、日本の世論を支配する力を持ち、アメリカや国際金融資本の代弁者として、要所要所で働いている。
____以下ツイート貼り付け開始___
#みんなで決めよう原発国民投票 の怪しさ(1)自分達を「脱原発」と云えない、云わない。(2)この点を誤解して運動に協力している人がいる。(3)何よりも、投票結果が推進派の勝利になった場合を全く心配していない(4)まともな言論を持たない。(5)極めて潤沢な資金源が不明。
posted at 12:39:07
#みんなで決めよう原発国民投票 の怪しさ (1)藤波心ちゃんのカリカチュアみたいなアイコンを据えてきているのは広告会社的発想。(2)サイトの印象が、商業的業者への発注によるもので、愛も美も無く、他の貧乏だが温かい脱原発運動HPとは全く違う。
posted at 12:51:03
(3)を心から心配しない人は信用出来ないし、脱原発の同志には出来なです。 @GRNFC 1〜3は特に同意。(3)
何よりも、投票結果が推進派の勝利になった場合を全く心配していない
posted at 12:59:32
#みんなで決めよう原発国民投票 の怪しさ 投票では宗教団体が有力な勢力。だが巨大宗教団体は皆、原発推進である。東京や大阪で、彼らの集票能力は馬鹿に出来ない。もし、この投票で脱原発が否定されれば、壊滅的で、立ち直りは不可能かも知れない。その心配をしない運動は、全く信用出来ない。
posted at 13:07:56
私の経験では、#岩波書店 は、よくも悪くも文化的権威主義の権化で、辞書を見ても、理工学書を読んでも、いいものが少ない。権威ではなく、自分の頭と感覚を信じるべきだと、私は思う。原発事故で、権威が崩壊するのを目の当たりにしたはずではなかったか。権威を利用する勢力にむしろ注意すべきだ。
posted at 12:56:24
___以上貼り付け終了___
最後のツイートは、主催者とされる人物が、国民投票の研究者であることから、書いたものです。原子力の研究者を実質的に買収して原発安全論を普及させた連中(原発推進派)にとって、「専門家」の権威こそ、利用し甲斐のある道具なのです。自分の頭と感覚をこそ信じないと、せっかく大地震を生き残った我々ですが、次は本当に殺されてしまうでしょう。この研究者自身は、信念をもって善意でこの運動を進めているのでしょうが、原発の場合は、いわば、「国家的自殺をするか、しないかを国民投票で決めよう」と云っていることと同じなのです。従来の政治的な決定とは、レヴェルもカテゴリーも異なるのです。
何でも多数決で決めることが出来るという直接民主制への「信仰」は、今の時代なら、世界を滅ぼすことさえ出来る怖ろしい過誤なのです。二院制、議会制民主主義の制度は、完全ではないにせよ、それなりのメリットがあるので、歴史的に生き延びてきて、今も使われているわけです。