アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

否定の夢

今朝の夢。

昭和的な街。住宅街というほどしゃれたものではない。私はどぶ川に落ちている。岸に上がろうとするが、二重の板塀のようなものが岸近くの水中に立っている。川は岸から垂直に深い。板塀に乗り上げると、板塀が川の中心方向に倒れてきた。慌ててた私は、泳いで、板塀を復帰させようと努力する。
別のどぶ川にいる。今度は、発酵したような汚物でぬるぬるしたものが堆積していて、それが川の内部に立体的な地形を醸し出している。水は無いようだ。その谷底から、上を見上げている。脱出できるか不安だ。ともかく、ぬるぬるした堆積物の壁をよじ登る。口の中まで、その汚物で一杯になってしまう。狭い路地を歩く。子供の頃遊び回った寺島町の雰囲気もあるかも知れない。水道を見つけて、口をすすぐ。その家から老人が顔を出して、「私もそうでしたよ」と教えてくれた。

次の風景。
都市ではない、田舎の風景。公園のようでもある。池や、川が、干上がっている。その残されたわずかな水たまりの中に、巨大な魚が、マグロの解体ショウよろしく、輪切りにされて、放置されていた。

昨日、「肯定」に関して比較的長い文章を書いた。それに対する夢の返答が、決定的な「否定」であった。フロイト的な解釈というものもあるのかも知れないが、私はフロイトには縁がなく、あくまでも敬遠している。夢が、肯定の不安におびえる自分を補償し、バランスを取ってくれたのかも知れない。ユング的には、老賢人との出会いに救いを見るべきだろうか。二番目の夢は、初めて見る怖ろしい光景だった。清澄な川とその中に棲む無数の巨大な魚たちは、ここ何十年のもの間繰り返し見てきた、私の傷んだ心を癒してくれる大事な夢だった。その夢の世界に変化が訪れた。これは何を意味するのだろうか。