アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

80年代後半の日本における反原発論を運動にまで高められなかった自分を反省すること

統一戦線義勇軍の針谷議長を「右から考える脱原発集会・デモ」で、写真に撮ることが多い。そこで気がつくのは、針谷さんの身のこなしの柔軟さである。硬直していないのである。撮り貯めた写真をながめていると、デモ参加者には、硬直した、軍隊の行進のような動きの人も意外に多いことに気づく。しかし、針谷さんの身体は、リラックスした、ときには踊り出しそうな、上体と下半身が力学的に自然なねじれ方、位置にあり、腕も意外な位置で待機したり、遊んでいたりする。ツイッターデモの場合は、気楽さもあるのか、明らかにデモの雰囲気を楽しんで上機嫌だ。その意味で目立っている。その人の身振りから、人となりを知ることも出来る。私は、その精神の柔軟性・自由さを針谷さんの身振りから読み取ってしまうのである。いつも通り、前振りが長くなったが、その針谷さんから、脱原発運動に関して、左翼はこの事故を本当に深刻には受け止めていないんだ、と言う意味の発言を聞くことが多かった。

私も、同じような気持ちが強い。ある種の政党や、一部の左翼運動家や、また一部の排外主義的な自称?右翼等々は、福島原発事故の結果生じた脱原発のうねりを、自分たちの運動の勢力を伸ばす絶好の機会としか捉えていないのではないか、と思わざるを得ない場合がある。福島での事故の意味するところを、本当には理解していないのではないか。

だらだら書き続けるブログよりも、字数が限られるツイッターの方が、真剣さが表現しやすいので、ついさっきツイートした内容を下に貼っておく。

脱原発は日本の文化・自然・人間の存亡を賭けた日本史始まって以来の大決戦だと思います。敗戦は戦争を潜在化しただけで日本人は引き続き最終的な敗戦に向けて歩まされ続けたのです。原発事故がこの不可視の戦争を可視化してくれました。今、脱原発に立ち上がったすべての人を私は心から尊敬します。』
posted at 18:16:44

原発推進の日本人(仮に1%)と脱原発の日本人(仮に99%)が実質的な内戦状態にある。推進派は脱原発派を「確率的に」殺しているのだから。推進派は脱原発派の寿命を「確率的に」しかし確実に縮めているのだから。反撃しなければ、殺される。一方的な殺戮で推進派の手は既に血まみれだ。#脱原発
posted at 18:37:45

私の全く正直な気持ちである。この事故の意味するところについては、過去の記事で、自分としては十分書いてきたつもりだ。しかし、今、原発と核・放射能汚染に関する知識が普及し、脱原発派の人々の間での一定のコンセンサスが出来つつある中で、今更、当たり前のことを云うのもどうか、野暮ではないか、という暗黙の気分に支配されて、最近は、技術的な記事も書かなくなってしまった。

シュタイナーの時代認識、歴史意識に照らし合わせると、2011年という年は、日本人が人類の歴史のなかで選ばれた運命的な年なのである。そのことは、十分理解しやすい形で書きたいと思い、なかなか書き始められないでいるが、もう少し、資料を読み進めたところで、きちんと書きたい。しかし、ここで、簡単にメモしておくと、1879年に66を足すと、1945年であり、1945年に66を足すと、2011年である。その意味の重大さを書かねばならないのだ。もちろん、これだけでは、何が言いたいのか、分からないだろう。1879年の意味に関してはSAASのサイト(既に半年以上更新せず!何とかしよう)に一部説明してあるので、興味のある方はご覧いただきたい。シュタイナーによる『歴史の天秤の原理』とでも云うべき歴史の法則性に関わる問題なのである。福島原発事故は、客観的に見ても、今後の日本人の存亡に関わる問題を明らかにしたわけだが、シュタイナーの示唆する歴史法則の観点から見ても、この事故が日本人に対して、歴史始まって以来の挑戦的な課題を突きつけてきたことが明らかなのである。本来なら個体主義的アナーキストとしてのシュタイナーに習う自分が、なぜ今、新右翼民族主義的な運動家たちに強く共鳴するのか、その根源的な理由もここにある。

ここまで書いて、今夜は疲れ切ってしまったので、タイトルと内容が合っていないが、気にせず、離脱します。
また後日書きます。