アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

風邪の夢 霊術家の饗宴

シャワー室にいる。なぜだか分からない。シャワーを浴びたいわけでもないらしい。しかし、天井のシャワー・ヘッドが自分に向かって水を浴びせている。避けようと逃げると、シャワー・ヘッドが私を追尾して動くので、シャワーから逃れられないことが分かる。思わずぎょっとする。オカルト的状況だと感じる。次に、これも何故だか分からないが、テントのようなものの中にいて、外を見ている。すると、目の前を、マントを着た人物が一人、通り過ぎる。その時だったろうか、私の身体の芯で、「キエー」と云う、陰陽師が九次を切る際に発するような声が二度響き、エーテル体が振動した。

夢の中で、誰かが声を発する場合は、霊夢だと思っている。目覚めて思ったことは、私がかねてから関心を寄せてきた明治から昭和初期にかけて活躍した霊術家たちのことだった。正史からはほとんど顧みられることもないが、日本の民衆を駆り立ててきた霊的衝動を考える上で、特に現在の私たちとの関わりにおいて、彼らの存在をあらためて意識し直したい。野口整体野口晴哉、霊気の臼井甕男(みかお)も、その流れのなかで現れてきたことは明らかだ。二人とも、関東大震災で傷ついた人々の治療・救出がその活動の原点だった。その意味でも、311震災以後のわれわれにとって、彼らの存在は身近であり、何よりも、彼らこそがシュタイナーの同時代の日本人として、私には関心がある。シュタイナーによれば、1879年(明治12年)以降、人類を取り巻く霊的環境の大変動が起きたわけであるが、その影響・結果が一体どのように現れたのか。その兆候はむしろ正史から葬り去られる傾向があることを意識しなければならない。その観点からも、大東亜戦争に突入するまでの日本人の霊的衝動をあらためて勉強し直すことは大きな課題のひとつである。

霊術家の饗宴

霊術家の饗宴