アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

実際の核反応の予測不可能性について  Atomic Exodusを避けられることを祈る

震災後一週間が過ぎ、テレビでもついに特別番組の編成が解除され、被災地以外では、見かけ上はいつもの日常に戻りつつあるのかも知れない。ブログなどを見ても、東京在住の人たち、特に仕事人間たちは、努めて我関せずを決め込んでいるようだ。しかし、子供は知らず、ある程度の直感力・思考力をを持った大人たちは、依然として福島原発事故の行方が不透明であることに不安を抱えている。私の場合も、自分だけではなく、子供を含めた家族を今後どうすべきか、考えざるを得ない。避難するにしても、経済的な問題もあるし、万一関東一帯が汚染された場合、自宅も失い、仕事も失うだろう。その場合、どうやって生きるべきかまで考えると、これは一個人の問題ではなく、もはや国民、民族の問題で、個人的解決だけに頼ることはむしろ問題の本質を見誤ることになる。その時には、被曝難民の一人として、どのようにこの世界を変えて行くべきか、この受難を光明に変換して行くべきか、考え、行動すべきなのだ。そのときはその時として、今から覚悟を決めておかなければならないが、自分の場合、未だそこまで肝が据わっていないのも事実である。現実に地震津波で難民化した同胞たちが既に何万人もいるにも関わらず、自分だけは救われるような気持ちでいるのかも知れない。しかし、高濃度に放射能汚染された土地は、少なくとも何十年かは立ち入り禁止になるだろう。被曝難民の場合、多くは帰るべき土地をも失うことになる。考えたくはないが、Atomic Exodus(原子の難民:平沢進なら、こんなタイトルの曲を作りそう)だ。
そこまで考えると、テレビに出ている原子力を推進してきた専門家(東京電力原子力工学関係の大学教授など)も、原発反対派(原子力情報資料室)の専門家さえも、事態の行方が予測出来ないと吐露していることは、許し難い無責任な態度に映る。しかし、ここにむしろ問題の本質が露呈していることに気が付かなければならない。既に、学問的には、このような「予測不可能性」は、十二分に予測されていたのだから。
制御された核分裂反応の応用としての原子力発電にとって、その原理的な部分(核反応)は、あくまでも、反応速度論的な微分方程式系で記述される。初歩的な化学反応論では、このような系の解を定常状態、すなわち、時間的な変化が無い状態として導くのが常であった。しかし、「力学系」という数学の分野が戦後発展し、非定常状態・あるいは遷移状態の解の振る舞い、すなわち、時間的な変化を追跡できる問題として解く方法が発達した結果、方程式系のオーダー(ここでは独立変数の数)が3以上ではカオスが出現する場合があることが発見されたのである。カオスとは、パラメーター(変数:ここでは環境条件、放射性同位元素の組成等)の極微変化によって解が激しく揺れ動く現象であり、従来の古典力学で信じられてきた、初期条件が与えられればその後のすべてが決まってしまうと云う常識を覆したことで、古典的な因果律の破綻を示す大きな発見であったとも言える。核反応が導くカオスという考えは、それが地上で現実化されれば、恐ろしい事態であるが、それが今現在、ある意味で現実化されていると言うことも出来る。微分方程式系はもちろん、あくまでも簡略化されたモデルにすぎないが、現実の核反応の設計も、そのようなモデルによって行われる他にない。数値化できるもの・数字で評価できるものに振り舞わされる現代文明の過誤を、バベルの塔の崩壊を思わせる原発群の反乱として、われわれは目撃し、その渦中に巻き込まれつつある。