アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

鯨(八月の改稿)

目の前の人間が 警官に連れ去られていく 現場を見た
発言の内容に 引っかかるものが あったのである
警官が それを指摘したとき 
彼は しまった という顔をしたが 
すぐに 警官について 去って行った
しかし それが 凍った鯨の夢と 
どう繋がっていたのか

凍った鯨の夢の 同行者が 彼だったのだろうか
そのとき 私には 話し相手がいたのだが
その姿はなかった 
存在だけがあった
それが 存在というものなのだ 
ということを 夢が 教えたのだろうか
つまり 
私は 存在している と言うことだ
それは 私が 一番知りたかったことだった(*)
 
(*)私が 私と言えば それは 私のことであるが この夢のなかの私は 私ではないことに 注意を喚起しておこう

     ☆

私たちは 大勢で どこかに向かっている 
それは 徒歩の遠足だった

暗い街道沿いには 大きな三角形の木造建築
九龍城のような 風格をもつ 廃墟寸前の建物がある
 〈私は カメラを持ってこなかったことを 後悔している〉

その建物は 双子で 
もう一件が 左に密接 連結していた
 〈シャム双生児のように〉

巨大建築の背後には 
それよりも 背の高い重機が 姿を見せていて 
それが破壊される運命を 指し示している

     ☆

私たちの 遠足は 既に 目的地に着いた後だった 
それでも 私と彼=存在は 北極のように 凍り付いた 暗い道をたどっていた
氷のなかに 封じ込められた 大きな魚体のようなもの 
 〈絶妙に身体をくねらせている〉
を左手に 通り過ぎたとき 
私は 彼=存在に これは鯨だ と言った

夜が迫っていた 
私たちは 凍った世界を 
山の方角に向かって 歩き続けていた
このままでは 遭難するかも知れない 
そう思ったところで 
意識の接続が 途切れた

宿泊地に たどり着いた 
私たちは 男から 
もう 閉めるところでした あなたがたが 最後です 
という言葉を 聞いた(*)
 〈私は 凍った鯨の道でも カメラを持ってこなかったことを 後悔している〉

     ★
 
(*)モラルを外在化した人間たち の出現に 呼応して 社会がモラルである世界が 立法化された夜 外側が内側を決定する われわれは既に 存在=共謀する罪の一群 に包囲されていた あらゆる内部は 唯一の外部のためにある この位相幾何学を 理解しないものは 生き残ることができない 〈私的事態は 立法府を 先取りしていた〉 病者たちは 内面を罪で彩る 憑依現象 われわれの『罪』が発色する

教會(八月の改稿)

夜 孤独者 戦場の犬たち
帰宅した傭兵を 待つものは 雨の降り続ける テレビが一台

われわれは どこにいても 
だれと一緒でも 孤独だから
あらゆる空間に テレビが現れる
われわれの広場には 巨大なテレビがある

われわれは 生まれつき 傷ついているのだ 
傷ついた 犬のように
自分の傷を どうしてよいか わからないでいるのだ
テレビを見れば 何かわかるかも知れない
毎日 毎晩 テレビを見続ける
風呂のなかでも テレビを見続ける 
排泄中も 分娩室でも
なぜなら テレビが唯一の教会だから
敬虔なわれわれは 寝室にも テレビを置かなければならない
神聖な性の営みは テレビの下で 行わなければならない
なにごとであれ テレビに見られていなければ 意味が無い

われわれの 生の意味を テレビが発生する
われわれの 無意味な 生の意味を

テレビから 遮断されることは 生の終わりだ 人間をやめることだ
テレビに背を向け 楽園=解放を夢見る者たち
かれらは あきらかな 異端である
審問官たちは まず 彼/彼女の衣服を剥ぎ取り
悪魔の刻印を その裸体に探すだろう 背教者たちは 火炙り・穴吊し 
人間の想像力が 及び得る限りの あらゆる拷問を 覚悟しなければならない

〈逃げ道は無いのかって?〉
〈そうだな
  これはフィクションかも知れないが
   昔挑戦した女子高生たちがいたらしい
    いや完全にフィクションだがそれがどうしたというのだ?〉
伊豆高原の廃墟モーテルの話だろ?〉
〈そこには壊れたテレビと謎のビデオが置いてあって・・・〉

あらゆる家庭
あらゆる広場の テレビというテレビから 這い出してくる
われらの貞子が 解放者であり贖罪者である 貞子が
あらゆる教会を炎上させる 真の解放者である 貞子が

地震が解いてしまった 古井戸の封印  われわれこそが貞子
髪振り乱し 泥まみれに這いつくばり 進む
われわれの呪いは 千年経っても 消えることがない

欲望(八月の改稿)

厳粛な欲望は下ろしたての夏服を着た水兵のように耀く
祝福せよ
あらゆる手管を用いて達成される生殖の瀰漫するこの世界を!



六月の雨に濡れよ

欲望の速度に絶望は追いつけない
大気を支配する
異教徒の天体崇拝者
黄金の錫をもつ
植物の王よ
髑髏が埋め尽くす
玉座への隘路を踏み尽くす
美しい!
羽の生えた性欲
乙女たちの湿った肌は闘いを叫ぶ
 
空虚
完全五度
南回帰線を裂いて
奴隷船はDevacan海横断
逃げ水の波打ち際に
あらわれる黒い影たち
三本足の犬の人
女体の青銅騎士団
アフリカ大陸
帰るべき肉体は何処にある?
 
ゲーデルの死骸は胎児の形
枢機卿の陰茎は干燥している

ざらすとろのピアノ(八月の改稿)

    1

諸侯
貴族
農奴
賤農

階級闘争

目に見える世界史が
エンゲルスを鼓舞したとき
われらの時代はまだ明るかった

指導者
オルグ・ドシャ
灼熱せる王座で炙られ
その条件でのみ助命を約束された
おのれの部下によって
生きながら食われたという

ドイツ農民戦争

それでも世界はまだ明るかった

人と人が剣をもて争い
血が流れ
首は刎ねられ

農民たちは信じる
将軍トルッホゼスの休戦提案

将軍は
易々と
何度でも
農民軍との協定を破り

指導者
イエックライン・ロールバッハ
は捕らわれ

トルッホゼスは
彼を棒杭にくくりつけ
そのぐるりにたきぎを積みかさね
遠火にかけて
生きながら炙らせ
部下の騎士達と
酒杯を重ねつつ
この見世物を楽しんだという

それでも世界はまだ明るかった

    2

キリストを捕縛するローマ帝国兵士
その兜の青銅の輝きが
二十一世紀
東京
霞ヶ関
梅雨の
甘い顔をした
都市の
歩道
その暗がりに
一筋の光線となって

ざらすとろのピアノの上に落ちた

 もはや世界はこれ以上暗くはならない

滅亡すべき民族に
ざらすとろのピアノの音は聴こえない

 われらのバール神
 ざらすとろの肉塊を
 捧げよ
 
雨の歩道
ざらすとろのピアノの音は
権力の消音器のなかに消えて行く

ざらすとろの鍵盤が
たとえ世界の中心にまで降りて行く豊かな音を響かせたとしても

その鋼鉄の響きは
権力者の宮殿には届かない

    3

だが
私は知っているのだ

そのとき
見えない光が
世界を切り裂いたことを

世界よ
滅びよ

世界よ
滅びよ

世界よ
滅びよ

滅亡すべき民族よ
奴隷どもよ

    4

ざらすとろのピアノが
青い嵐を裂いて
われらを震え上がらせるとき

地は闇に覆われる

生暖かい雨が
血のような匂いを放ちながら
君たちの上に
十万の
ヒツジの群れの上に
厳かに降り注ぐのだ

音樂(八月の再録)

夜更けになると音樂が美しく聞こえるようになるのは何故だろう
もはやぼくたちには星さえ残されていないのに
眠ることが許されない夜

神様の宿題を
思い出すまでは
眠ってはいけない

蜻蛉の羽の生えたエンゼルが

眠りに落ちた私のかわりに思い出す
死んだ女のことを

眠る私は
不義の彼方で
愉快に波乗りをする
倫理の彼方で
軽快に踊り出す

そのとき
蜻蛉の羽の生えたエンゼルは
赤ん坊の顔で
眠る私に乳臭い息を吹きかけるが

眠る私は
蓮の花の上で
ウクレレの演奏に熱中している

  *

夜明けが来る前に
夥しい死が
蝶のように飛び立つ

私は眠ったまま
直立不動の朝に敬礼する

歩く星たち(八月の採録)

夜の帳が降りた
珈琲カップが二つ
天井の高い喫茶店の窓際で
避難について真剣に話をした
戦時中の会話のようだ
未だこの現実を認めることに躊躇している自分の不甲斐なさ
これほど明らかなのに
目に見えない戦争の最中にいる自分たち
線量計の数値だけが明かす現実とは何だ
ぼくたちは未生の死者だった

「哲学とは思想のひきおこした堕落と手を結ぶものです」
「哲学は現実世界の没落とともにはじまるのです」
街宣車の上から
若い悪霊が宣教する
そのあとを
二十八万の殉教者たちが
踊りながら歩くけれど
誰もその姿を見ない
提督ピラトの兵卒だけが
霊と霊の交通整理に没頭する

私は
崩壊
原子は
崩壊

歩く速度で
地球の裏側に墜ちて行く

  *

三博士が
幼子を訪れる

四十六億年前の
東方の星を目指して
横浜の岸辺を
歩き続けるのです


(注) 以前、行空けの無いものを推敲形としましたが、やはり初期のこの形の方がわかりやすい。

赤いスピンクス(八月の改稿)

あなたの言葉は光ですか?
私の言葉は闇だろうか
あなたの言葉の謎には触れぬがよい

あなたの言葉が洩れ出るとき
世界は流出しない
世界は外包されるのです
私にはあなたの言葉がおそろしい
外包された世界が私を呪います

あなたの錬金術
言葉の錬金術
黒い魔法だ
あなたの言葉は屹立するバヴェルの塔だ
あなたの言葉はバビロンの神殿だ
あなたの言葉は
無意味だから意味がある

あなたは自殺した
私は若すぎる
言葉の外包する黒魔術の罠に落ちた
後はご存知の通りです

〈世界は言葉から生まれた〉

あなたは今
どこにいますか?

〈あなたの言葉の地獄で人類が迷う〉

私は英雄のはずだった
赤いスピンクス
あなたの鉤爪がなつかしい
もう一度
あなたの獅子の爪で
私の胸に傷をつけてください
私の胸から血を流してください
あなたのまなざし
あなたの悲しいまなざしは忘れない
神よ
神々よ
スピンクスを蘇らせよ!

世界を外包する魔の言葉を
もう一度私に浴びせかけよ
赤いスピンクス!