アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

暗喩(第二稿)

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輪廻転生説の最大の謎は、人間がそれだけ(繰り返し繰り返し)悲しい目に遭いながら、なぜ再度地上に生まれてくる決意を持ちうるのかということだった。しかしその謎=問い自体にすでに答えが隠されていたのだ。彼岸で希望を見る。見たのだ。死が死では無いことを知ったのだ。だから悲しむ必要は無い。肉体のはかなさははじめから自明のことだった。

吉岡実の悪しきエピゴーネン。それはミロのヴィーナスの裸身に般若心経を写経するような、あるいは古代ギリシャの海岸に放り出された耳無し芳一(腕無し!)のような、時空を超えた愚かさでありうる。つまり彫刻性(沈黙)に耐えられない彫刻家のような。

意味という質量を削って形相を導く。意味という質料因のなかに眠っている形相を彫り出す=詩は意味の彫刻でありうるか否か?

しかし時空を越えた愚かさこそが詩にとっての目的因ではないのか! 愚かさの翼に乗って時空を超えることこそが。それこそがまさに詩の方法ではないのか? 自然の目的因のなかにはすでに方法が含まれているのだから(アリストテレスが教えたように)。

「あらゆる抽象語と同じく、暗喩という言葉もひとつの暗喩である。」ボルヘス

ゴジラが巨大な不条理の暗喩として生まれたこと。暗喩という怪物を使役できる者にのみ巨大な不条理に立ち向かう力が与えられる。それは(ホメーロスの昔から今も変わらない)真実の陰画でもある。自ら暗喩の海に棲息する怪物でしかありえない詩人たち。