アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

二十歳の春 平成の玉音放送

一昨日は、夜軽い気持ちで見始めた「二十四の瞳」を結局目が離せなくなって最後まで見てしまい、予定した本も読まず、調子が狂ってしまったという気持ちで寝床に入った。翌朝(昨日)は、そのため睡眠も短かったせいで、目覚めの感覚が悪く、昨日は一日中、花粉症の頭痛に悩まされた。日曜の夜には、「日本の一番長い日」も見た。「二十四の瞳」と「日本の一番長い日」は、映画で描いた、大東亜戦争と言うコインの表と裏のようなものかも知れない。日本人としては、敗戦の前後と、原発事故の行方に脅かされる今の感覚とには大きく重なる気分がある。「日本の一番長い日」の最大のモチーフは、玉音放送だった。3月17日の今上天皇によるビデオ放送も、平成の玉音放送だったのだ。これから長い敗戦処理が始まると云うことを、天皇陛下御自らが、国民に告げたのだ。ところが、こんなことを書いている私自身は、その時には車の運転をしていて、見逃しているのだが。
大東亜戦争初期は連戦連勝で国民は沸き立っていたそうだが、戦後の日本人も、復興期を経て、60年代以降は経済戦争で連戦連勝が続いた。90年代に入って、しかし、段々雲行きが怪しくなり、迎えた二十一世紀は、若者が就職難に喘ぎ、もはや敗色が決定的になりつつあった。今回の三重苦災害で、日本人は決定的な敗北を迎えたのだ。しかし、今回の敗北にも、大きな意味がある。それは、人類を代表して敗北したと云うことだ。今回の戦争は、物質文明と地球との闘いだった。日本人は、その本来の霊性に反して、物質文明の戦士として、果敢に地球・自然と渡り合った。愛する国土・風土・美しい自然を踏みにじりながら、しゃにむに近代化を推し進めた。もはや、自然の霊性を敬う本来の日本人の精神性はその経済活動の何処にも残ってはいなかった。そして、決定的な敗北は、真っ黒な巨大津波とともに押し寄せてきた。
シュタイナーは、百年程以前、既に、今後人類は、繰り返し繰り返しカタストロフに襲われ、そのたびに技術的な革新によってその困難を降り越えて行くが、そのこと自体が、”アーリマンの受肉”にふさわしい環境を準備することになるのだという意味のことを述べた。実に不可解な言葉だった。しかし今、現在進行中のカタストロフにもかかわらず、技術的な改変によって今後も原子力の利用を推進し続けなければならないと云う原発メーカー・政治家・電力会社等からの発言を知って、このシュタイナーの言の意味も納得が行ったように思った。日本人は、人数から云えば、全く少数に過ぎない一部の「懲りない」勢力とともに、このまま奈落への道を突き進むのか、それとも、文明的な転換期の自覚をもって、決然と物質至上主義から離別するのか、文字通り臨界的な状況を迎えている。