アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

朗読する蠅の王(十月十一日版)

これは精密に制御された狂気のようなものである(しかしそこに懐かしさがあるのはなぜだろう?) 狂気の側に賭けている大きな傾斜 平衡を拒むもの 傷口から羽化する蠅の王 黒い透明な羽をもつ 蠅 あるいは詩人
            
・・・細菌やウィールスはもっとも効果的な(ヨーロッパ人侵略者たちの)同盟者であった ヨーロッパ人たちは 聖書的災厄として 天然痘破傷風 さまざまな肺や腸の病気 性病 トラコーマ チフス レプラ 黄熱病 虫歯を持ち込んだ
インディオたちは蠅のように死んでいった
 E・ガレアーノ『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』

  俗物たちの   宴が   悪魔を呼び出す  
   見飽きた   光景   

矢沢宰のような人(大人になる前に童貞のまま死んだ)にしか
詩の原点は示すことができない そこからは絶えず微かな光が 世界に向けて照射されている 二十一世紀の暗闇のなかで
黒い透明な羽をもつ ぜんまいじかけのロボットみたいに動けばいい マルチ・タスクではなく マイコン制御でもなく ゼンマイを巻いてもらったらその分だけ動いておしまい 以下くり返す すべてなんとかなる ぜんまいが切れたところでじっとしている 下を向いたまま あるいは前方
       
・・・仁とは以太(エーテル)の用(はたらき)であり そして天地万物はこれをもとにして生まれ これをもとにして通じあっており 遠隔の星辰にも幽冥の鬼神にも 仁によってひろく通じあうのであろう 一人や二人の私意で閉塞できるものではない 閉塞するのは自分で自分の仁を閉塞するのである                   
                        譚嗣同『仁學 清末の社会変革論』

飛ぶ!  蠅の王 
     記憶の質量と   言葉を
     天秤にかけて   量る    神がいる

  朗読する蠅の王

これは精密に制御された狂気のようなものである
しかしそこに懐かしさが漂うのはなぜだろう
狂気の側に賭けている大きな傾斜
平衡を拒むもの
傷口から羽化する蠅の王
黒い透明な羽をもつ


あるいは詩人

・・・細菌やウィールスはもっとも効果的な
(ヨーロッパ人侵略者たちの)同盟者であった
ヨーロッパ人たちは
聖書的災厄として
天然痘破傷風
さまざまな肺や腸の病気
性病
トラコーマ
チフス
レプラ
黄熱病
虫歯を持ち込んだ
インディオたちは蠅のように死んでいった
       E・ガレアーノ『収奪された大地 ラテンアメリカ五百年』

俗物たちの宴が悪魔を呼び出す
ごく見慣れた光景

   *

矢沢宰のような人
(大人になる前に童貞のまま死んだ)にしか
詩の原点は示すことができない
そこからは絶えず微かな光が
世界に向けて照射されている
二十一世紀の暗闇のなかで
黒い透明な羽をもつ
ぜんまいじかけのロボットみたいに動けばいい
マルチ・タスクではなく
マイコン制御でもなく
ゼンマイを巻いてもらったらその分だけ動いておしまい
以下くり返す
すべてなんとかなる
ぜんまいが切れたところでじっとしている
下を向いたまま
あるいは前方

   *

・・・仁とは以太(エーテル)の用(はたらき)であり
そして天地万物はこれをもとにして生まれ
これをもとにして通じあっており
遠隔の星辰にも幽冥の鬼神にも
仁によってひろく通じあうのであろう
ましてや同じこの地球に生れ同じく人間なのである
一人や二人の私意で閉塞できるものではない
学ぶものは
仁のことを悟るためには
まず以太(エーテル)の体(そのもの)と
用(はたらき)のことが
はっきりわからねばならないのである
閉塞するのは自分で自分の仁を閉塞するのである
            譚嗣同『仁學 清末の社会変革論』

   *

われら十三人の閉塞者
黒い透明な羽をもつ

   *

・・・まずはじめに
次のことをよく確かめなければならない
とニールスは答えて言った
一つの有機体は
古典物理学によって支配されるような
多くの原子的な素材から成り立つ系としては
決して持ちえないような全体性の性格を持っている
ということを
              ハイゼンベルク『部分と全体』

   *

形相の記憶
想起説の崇高を念え!
記憶の質量と言葉を天秤にかけて量る神がいる

   *

靈もまた
天使と人間が一つの形像をもつことを
まったくあきらかに示している
というのも
神は追放されたルチフェルの軍団の代わりに
ルチフェルが座した
また彼がそこから造られたその同じ場から
もう一人の天使を造られた
これがアダムであった
               ベーメ『アウローラ』

   *

これは当たり前のことだよ
とささやく検閲者
詩を分析とイメージに分解してしまう悪魔
ロゴスの敵対者
黒い透明な羽をもつ

欲望(九月の改稿)

厳粛な欲望は下ろしたての夏服を着た水兵のように耀く

祝福せよ!
あらゆる手立てを用いて達成される
生殖の瀰漫するこの世界を!


 雨
  雨
六月の雨に濡れよ

欲望の速度に絶望は追いつけない
大気を支配する
異教徒の天体崇拝者
黄金の錫をもつ
植物の王よ
髑髏が埋め尽くす
玉座への隘路を踏む
美しい!
羽の生えた性欲
乙女たちの湿った肌は闘いを叫ぶ

空虚
完全五度
南回帰線を裂いて
奴隷船はDevacan海横断
逃げ水の波打ち際に
あらわれる黒い影たち
三本足の犬の人
女体の青銅騎士団
アフリカ大陸

帰るべき肉体は何処にある?

ゲーデルの死骸は胎児の形
枢機卿の陰茎は干燥している

福音(八月の改稿)

    1

S博士によれば 人間が 
靈感を 感受できる期間は 
一月のうちの 半分にすぎない 
と言う

ぼくはすでに その半分を逃したようだ
自分を追い立てる 情熱の正体も 
分からなくなってしまった

たとえば
”四本の手のためのピアノソナタ
モーツァルトなら 躊躇することもなく 
自らの手に 神の手を
添えることだろう

秋の乾いた光を 飲み干し
薄明の薄紅色に 魂を染める人

なぜなら 
音が光であり 生命であることを 
疑っていないから

〈逡巡する人は美しい〉

なぜなら 
そのとき 彼は
 
世界から 
脱臼しているから 

世界から 
意味が 抜け落ちた 
場所にいるから

言葉の 届かない 
世界にいるから

〈逡巡する 二本の腕〉

それは 言葉の基底が 
失われた 
世界を さまよっているのだ

もはや 世界の底は 
破れた

あなたは そのことに 
気がついていますか?

  ☆

われらの 失われた音階が 
響く
ロゴスの 光の 
届かない場所で

失われた 二本の手が 
触れようとする 
鍵盤の調律は 狂っている

われわれが 見いだせない 
この空間の 基底 
黒い 鏡面 

そこで 失われた 
二本の手が 
触れてしまう 双対宇宙

われわれは 夜明けのように 
這い上がろうとする

失われた 二本の腕で
 
無音の 夢のなかで 
福音を聴く われら

    2

宮沢賢治が 実業家 鈴木に出会わず
無理な営業で 身体を壊さずに 
生き延びたとすれば どのように堕落し 
そして 再生したか?
 
エクスターゼの 先の生を知らなかった人は 
どのように堕落し そして 
再生し得たのか?

「もうラッセル先生の講義の時間だ」
「行かなくていい」

戦火の ジョバンニとカムパネルラ
塹壕と飛行
砲声と墜落

あなたは 
数学には 愛がないと 嘆く

しかし ロゴスは 
ヨハネと エウクレイデス 
両者の前に 姿を現しました

双対宇宙の 外に出ること
それは この宇宙=自我
の外に 出ることであり
神に あらずして 
あたわざる 技である

ウィトゲンシュタインの言葉と 
 ラッセルの言葉の 間には 
 聖ヨハネが立つ〉

    3

御言葉が 肉となって 
私たちのなかに宿った?

白昼の 光のなかでは 
流れ星も見えない

肉のなかの われわれには 
時間が見えない

それは 
ぼくの足の裏から 頭頂を貫く 
黒い流星の 群れだ

燃えることも無く 死んでいった者たちが 
時間を 運んでくる

イデアを 我が肉として 蘇らせること〉

    ☆

モーツァルトの 四本の手
死者たちの 夥しい手が 
ぼくの鍵盤を 覆い尽くす!

シュタイナー講演録『人間の魂と動物の魂』1910(明治43)年11月17日#10

Wir können aber auch sehen,
wie die Kräfte,
die in der Eigenbewegung organisierend wirken,
この各人に固有の動作において組織的に働く諸力が、

im späteren Leben weiterwirken,
後の人生になってどのように働くかは、

wenn wir von der Gebärde,
die sich in der Bewegung ausdrückt,
mehr übergehen zu dem,
仕草の動きにおいて表現されるものから更に進んで、

wo das Innere des Menschen sozusagen in die äußere Form
- aber in Beweglichkeit -
sich hineinergießt in der Mimik und in der Physiognomie.
人間の内面が、
言うなれば外的な形態を取って(とはいうものの、動きにおいてですが)、
身振りや表情に流れ込むところまで行けば、
見ることも可能なのであります。


Da wirkt in der Tat dasjenige weiter,
実際に、
そこでは、

was erst als Eigenbewegungssinn wirkt und sozusagen der Hilflosigkeit des Menschen Spielraum läßt,
初期においては各人に固有の運動感覚として働き、
言わば、
人間の救われ無さが(自由の)余地を確保しておいたものが、

sich weiterzuentwickeln,
更に発展し、

und dann diese Hilflosigkeit in Zucht nimmt.
そして、
この人間のすくわれ無さに秩序を与えることになるのであります。

Wenn wir sehen,
wie der Mensch sein Äußeres durch sein Inneres sozusagen in fortwährendem Gange hält mit seiner Miene,
auch mit dem Spiel seiner Physiognomie,
人間が、
如何なる仕方で、
言わば絶え間なく、
その内面を通じて、
表情や顔の動きによって、
その外面を保持しているかを見るとき、

so finden wir,
wie in der Tat das,
実際に、
どのようにして、

was erst in der Organisation mehr als ein bloßer Ausdruck der Wirkung in die Leiblichkeit erscheint,
初めは(人間)組織において単なる身体性における働きの表現にしか見えなかったものが、

mehr in das Seelische umgegossen und dadurch verinnerlicht erscheint.
魂的なものに流れ込み、
内面化されるように見えるようになるかを、
知ることになるのであります。

Was in der ersten Lebenszeit des Menschen mehr direkt wirkt,
人間の生の初期においてはすぐれて直接的に作用していたものが、

wird gleichsam in die Innerlichkeit eingefangen,
in das selbstbewußte Ich,
言わば、
内面に、
自己意識的な自我に捕獲されるのですが、

um dann von innen nach außen sich in die leibliche Sphäre hineinzugießen,
今度は、
それが更に、
内部から外部に、
身体性の領域に流れ込むのであります。

während es anfangs eine Auseinandersetzung des selbstbewußten Ich mit dem Geist war.
しかし、
初期においては、
それは、
靈と自己意識的な自我の相互作用であったわけです。

Wenn wir nun beim Menschen sehen,
wie uns ihm berechtigterweise die besondere Schädelform interessiert,
特別な頭蓋骨の形態が、
どのようにして、
われわれ人間に当然の興味を起こさせるのかを見るとき、

so müssen wir sagen:
われわれはこう言わなければなりません。

In dieser besonderen Schädelform drückt sich in der Tat auch etwas von seinem innersten Wesen aus.
まことに、
この特別な頭蓋骨にもこの人物の内的な本質から発する何かが表現されているのだ、
と。

Jeder mensch weiß,
daß dies schon im groben der Fall ist
誰でも、
これがおおまかには正しいことを知っております。

und daß man immer Unterschiede zwischen dem menschlichen Innern bei diesem oder jedem Menschen in der Stirnform,
in der Schädelform finden wird.
そして、
しばしば、
個々の人間における内面性の相違を、
額の形や、
頭蓋骨の形において見出そうとすることを。

Selbstverständlich darf man nicht auf gewisse Gebiete des geistigen Lebens dabei blicken,
die sich wieder von der an den Leib gebunden Seele emanzipieren.
当然、
靈的生活のある領域においては、
それが身体に結びついた魂から再び自由になっていると考えることはできません。

Aber als eine gewisse Grundlage ist doch das vorhanden,
was man als Ausdruck des zur Seele geworden Geistes bezeichnen kann
しかし、
魂になった靈の表現として示し得るものの確固たる根拠はたしかに存在するのであって、

und mit so großem Unrecht ausgestaltete in dem,
そこから、
粗雑な誤りが、

was man Phrenologie,
Schädelbeobachtung und dergleichen nennt.
骨相學や頭骨観相等々と呼ばれるものにおいて、
生じているのであります。

Denn das Wesentliche ist gerade,
即ち、
まさしく本質的なことは、

sich klarzumachen,
daß jene Formen,
die im menschlichen Schädel zum Ausdruck kommen,
人間の頭蓋骨に表現されているどのような形態も、

für den Menschen als solchen,
その頭蓋骨の人物にとっての

wie er als moralisches,
intellektuelles Wesen vor uns steht,
倫理的・知的本質としてわれわれの目の前にあるのであって、

individuelle und nicht generelle sind.
それはあくまでも個別的なものであり、
決して一般的なものではないことを明らかにすることなのですから。

Wo wir aber darangehen,
zu generalisieren,
われわれがこのような一般化に赴く場合には、

da verkennen wir überhaupt den ganzen Zusammenhang.
とりわけ全体の關聯を見誤ってしまうのであります。

In dieser Art ist die ganze Phrenologie,
骨相学が何を主張しようと、

wenn sie so getrieben wird,
このように運用される限り、

ein materialistischer Unfug.
それは唯物論的愚行なのであります。

Man sollte sie überhaupt zu keiner Wissenschaft machen im rechten Sinne des Wortes,
骨相学を言葉の正しい意味において學門にすることはどうやっても無理でしょう。

denn das kann sie nicht sein.
それは學門ではあり得ないのであります。

Was uns in der menschlichen Schädelbildung entgegentritt,
ist ein Individuelles,
人間の頭蓋骨においてわれわれが直面するものとは、
一個の個人的なるものなのであって、

das von Mensch zu Mensch verschieden ist.
個々の人間によって異なるものなのであります。

Die Art und Weise,
wie wir dann den Menschen gerade nach diesen Merkmalen beurteilen wollen,
したがって、
われわれがこのような徴表によって人間を判断しようとするやり方は、

muß ebenso eine individuelle sein,
全く個別的でなければならないのであって、

wie es das Verhältnis des Menschen zu einem Kunstwerk ist.
ひとつの芸術作品に対する場合と同じ関係にならなけれならないのであります。

Wie es da keine allgemeinen,
festgestellten Regeln gibt,
sondern wie man ein Verhältnis zu einem jeden Kunstwerk gewinnen muß,
wenn es wirklich eines ist,
事態が真に個別的である場合には、
一般的な、
確固たる法則など存在しないのであって、
それは、
人間が個々の芸術作品に対して、
個別的に関係を獲得しなければならないことと同じことなのであります。

so wird man,
であるとすれば、

wenn man nach allgemeinen Regeln an das geht,
was an künstlerischem Sinn in dem Menschen steckt,
われわれが、
人間において芸術的な意味で存在している何かに、
一般的法則に従って対応する場合には、

schon zu einigen Urteilen kommen können.
すぐに個的な判断に到達することが可能なのであります。

Nur werden sich diese Urteil ganz anders ergeben,
als sie gewöhnlich ausgesprochen werden.
このような判断は、
通常に下される判断とは全く異なるものになる他ないでしょう。

Aber gerade das wird sich uns ergeben:
しかし、
これはまさしくここで明らかになることですが、

Betrachten wir einen menschlichen Schädel,
一人の人間の頭骸骨を観察したとき、

so werden wir sehen,

wie der Geist in der Form in unmittelbarer Beziehung arbeitet,
いかに靈が直接的な關聯において形態に働きかけているか、

wie die Kräfte des Geistigen
- des Ich -
いかに靈の(自我の)力が、

von innen heraus die Schädelkapsel förmlich entgegenschieben dem,
was von außen nach innen arbeitet.
頭蓋の内部から、
外部から内部に働きかけるものに対抗して、
形態的に圧しているかを、
見ることになるでしょう。

Nur wenn man ein Gefühl für dieses Arbeiten von außen nach innen und von innen nach außen hat,
われわれは、
このような、
内から外、
外から内、
(双方からの)働きに対する感覚を持った時にのみ、

kann man sich auf das einlassen,
was in der menschlichen Schädelform,
die das Gehirn umschließt,
uns entgegentritt.
頭脳を覆う頭蓋骨においてわれわれに対峙してくるものに、
関与できるのであります。

So zeigt uns die Beobachtung,
wie in der Tat der Geist im Tiere unmittelbar sich auslebt in den Formen.
まことに、
この様な観察によって、
動物の形態とは、
どれほど直接的な靈の具現化であるかが、
わかるのであります。

Da das seelische Leben des Tieres wieder unmittelbar an die Organisation gebunden ist und das instinktive Leben ein Ausdruck der Organisation ist,
そこでは、
動物の魂的生活は、
再度、
直接に臓器に結びついており、
その本能的生活は、
臓器の表現なのであります。

so wird man immer finden können,
warum diese oder jene Instinkte oder Impulse gefühlsmäßig beim Tier auftreten müssen.
このことから、
どの場合においても、
動物の諸々の本能や衝動がなぜ情動を伴わなければならないのかが、
判明するでしょう。

Dagegen kann man vom Menschen sagen:
bei ihm sehen wir ebenso den Geist von innen an seiner Organisation arbeiten.
これに対して、
人間の場合には、
靈が内側からその臓器に働きかけていると、
われわれは述べることができるのであります。

Wir sehen aber auch,
しかしながら、

wie das,
was dem selbstbewußten Ich zugrunde liegt,
自己意識的な自我に基づくものが、
どのようにして、

sich entgegenstellt und sich hineinschiebt in die Organisation - und damit in die Arbeit des Geistes.
臓器に対抗し、
押し入るのか、
そして、
そのことによって、
靈の働きにおいて同様の作用を及ぼすのかをも、
われわれは理解するのであります。

鯨(八月二十日の改稿)

目の前の人間が 警官に 連れ去られて行く
現場を 見た 発言の内容に 
引っかかるものが あったのである
警官が それを 指摘したとき 
彼は しまった! という顔をしたが 
すぐに 警官について 去って行った
しかし それが 「凍った鯨の夢」と 
どう繋がっていたのか?
 
「凍った鯨の夢」の 同行者が
彼だったのだろうか
そのとき 私には 話し相手が いたのだが
その姿は なかった 存在だけが あった
それが 存在という ものなのだ 
ということを 夢が 教えたのだろうか
つまり 私は存在している! と言うことだ
それは 私が
一番知りたかったことだった(*)
 
  (*)私が私と言えば 
  それは 私のことであるが 
  この夢のなかの私は 私ではないことに
  注意を喚起しておこう

   ☆
 
私たちは 大勢で どこかに 向かっている 
それは 徒歩の 遠足だった
 
昏い 街道沿いには 巨きな 三角形の
木造建築 九龍城のような 風格をもつ 
廃墟寸前の 建物がある

 その建物は 双子で もう一軒が
左に密接 連結していた
 〈シャム双生児のように〉 

巨大建築の 背後には 
それよりも 背の高い重機が
曖昧な顔を 覗かせていて それが 
今にも 破壊される 運命を 指差している
 
私たちの 遠足は すでに 
目的地に着いた 後だったらしい 
それでも 私と彼=存在は
北極のように 凍りついた 暗い道を
たどっていた 氷のなかに 封じ込められた
巨きな 魚体のようなもの 
 〈絶妙に 身体を くねらせている〉
を左手に 通り過ぎたとき 私は 
彼=存在に これは鯨だ と言ったようだ
 
夜が 迫っていた 私たちは 凍った世界を 
山の方角に 向かって 歩き続けていた
このままでは 遭難 するかも知れない 
そう思ったところで 意識の 接続が
途切れた
 
宿泊地に たどり着いた 私たちは
男から もう 閉めるところでした
あなたがたが 最後です 
という言葉を 聞いた(*)
 
 (*)モラルを外在化した人間たち
  の出現に呼応して 
  社会がモラルである世界が
  立法化された夜 外側が内側を決定する
  われわれは既に 存在=共謀する罪
  の一群 に包囲されていた 
  〈あらゆる内部は 唯一の 
  外部のためにある〉
  この位相幾何学を 理解 しないものは
  生き残ることが できない
  〈私的事態は 立法府
  先取りしていた〉

病者たちは 内面を 罪で彩る
われわれの罪が 狂おしく 解凍 し始める

教會(八月の改稿 改行版)

夜 
孤独者 
戦場の犬たち
帰宅した傭兵を待つものは
雨の降り続ける 
テレビが一台

われわれは 
どこにいても 
だれと一緒でも
孤独だから
あらゆる空間にテレビが現れる
われわれの広場には巨大なテレビがある

われわれは生まれつき傷ついているのだ 
傷ついた犬のように
自分の傷をどうしてよいか
わからないでいるのだ

テレビを見れば
何かわかるかも知れない
毎日
毎晩
テレビを見続ける
風呂のなかでも
テレビを見続ける 
排泄中も
分娩室でも

なぜなら
テレビが唯一の教会だから

敬虔なわれわれは
寝室にもテレビを置かなければならない
神聖な性の営みは
テレビの下で行わなければならない
なにごとであれ
テレビに見られていなければ意味が無い

われわれの生の意味を
テレビが発生する
われわれの無意味な生の意味を

テレビから遮断されることは
生の終わりだ 
人間をやめることだ

テレビに背を向け
楽園=解放を夢見る者たち
かれらはあきらかな異端である

審問官たちは
まず彼/彼女の衣服を剥ぎ取り
悪魔の刻印をその裸体に探すだろう 
背教者たちは
火炙り・穴吊し 
人間の想像力が及び得る限りの
あらゆる拷問を覚悟しなければならない

〈逃げ道は無いのかって?〉
〈そうだな
 これはフィクションかも知れないが
 昔挑戦した女子高生たちがいたらしい
 いや完全にフィクションだがそれがどうしたというのだ?〉
伊豆高原の廃墟モーテルの話だろ?〉
〈そこには壊れたテレビと謎のビデオが置いてあって・・・〉

あらゆる家庭
あらゆる広場の
テレビというテレビから
這い出してくる われらの貞子が
解放者であり贖罪者である 貞子が
あらゆる教会を炎上させる
真の解放者である 貞子が

地震が解いてしまった 古井戸の封印
われわれこそが貞子 髪振り乱し
泥まみれに 這いつくばり 進む

われわれの呪いは千年経っても消えることがない