詩が個人の肉体と同じくらいつつましやかで
それにもかかわらず
人間の肉体同様に
宇宙全体に匹敵するという
両極性を貫く一本の棒が私である
繰り返し見てきた魚の夢
しかしどこか傷ついているらしく
魚たちが巨大化している
幾百万のキリストの群れ
私にはその背びれしか見ることができない
そこには重大な過誤がある
慰めは来たりて去りぬ
*
現在を歴史化することは
逃避なのか?
現在を回想することは?
死者の眼で今を見ることは?
既に死んだ自分を認めることは?
私は以前の私では無い
〈そのことを認めれば良いだけかも知れない〉
世界のありとあらゆる場所で
過去・現在・未来の人たちが知っていて
私が知らなかったことを知った
あらゆる古典の中心にあるものを体験してしまったのだ
そして動き出すことができない
世界という悲劇の中心から
すべての古典は悲劇の練習にすぎない
それを自らが体験するまでの
悲劇の本質に密儀を見出しうる
自らが力を蓄えるまでの
あらゆる音楽は過ぎ去ったものである
過ぎ去った密儀の余韻
決して思い出せない
しかし覚えているもの
私はラブレターを出し続ける男だった
そして必ず来る
返事を一度も開封したことがない
それでもラブレターを出し続ける
それ以外に生きることの継続はありえないのだ
〈私の自我の身体はベートーヴェン「七重奏曲」変ホ長調を聴く〉
そして音楽は絶えず
死を無化し続ける?
*
死の内側には星が詰まっている!