アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

ヒュポテシス(古伝梗概)(7月の改稿)

詩が個人の肉体と同じくらいつつましやかで
それにもかかわらず
人間の肉体同様に
宇宙全体に匹敵するという
両極性を貫く一本の棒が私である

繰り返し見てきた魚の夢
しかしどこか傷ついているらしく
魚たちが巨大化している
幾百万のキリストの群れ
私にはその背びれしか見ることができない
そこには重大な過誤がある
慰めは来たりて去りぬ

  *

現在を歴史化することは
逃避なのか? 
現在を回想することは? 
死者の眼で今を見ることは? 
既に死んだ自分を認めることは?

私は以前の私では無い
〈そのことを認めれば良いだけかも知れない〉
世界のありとあらゆる場所で
過去・現在・未来の人たちが知っていて
私が知らなかったことを知った

あらゆる古典の中心にあるものを体験してしまったのだ
そして動き出すことができない
世界という悲劇の中心から

すべての古典は悲劇の練習にすぎない
それを自らが体験するまでの
悲劇の本質に密儀を見出しうる
自らが力を蓄えるまでの

あらゆる音楽は過ぎ去ったものである
過ぎ去った密儀の余韻
決して思い出せない
しかし覚えているもの

私はラブレターを出し続ける男だった
そして必ず来る
返事を一度も開封したことがない
それでもラブレターを出し続ける
それ以外に生きることの継続はありえないのだ

〈私の自我の身体はベートーヴェン「七重奏曲」変ホ長調を聴く〉

そして音楽は絶えず
死を無化し続ける?

  *

死の内側には星が詰まっている!