アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

福音(八月の改稿)

    1

S博士によれば 人間が 
靈感を 感受できる期間は 
一月のうちの 半分にすぎない 
と言う

ぼくはすでに その半分を逃したようだ
自分を追い立てる 情熱の正体も 
分からなくなってしまった

たとえば
”四本の手のためのピアノソナタ
モーツァルトなら 躊躇することもなく 
自らの手に 神の手を
添えることだろう

秋の乾いた光を 飲み干し
薄明の薄紅色に 魂を染める人

なぜなら 
音が光であり 生命であることを 
疑っていないから

〈逡巡する人は美しい〉

なぜなら 
そのとき 彼は
 
世界から 
脱臼しているから 

世界から 
意味が 抜け落ちた 
場所にいるから

言葉の 届かない 
世界にいるから

〈逡巡する 二本の腕〉

それは 言葉の基底が 
失われた 
世界を さまよっているのだ

もはや 世界の底は 
破れた

あなたは そのことに 
気がついていますか?

  ☆

われらの 失われた音階が 
響く
ロゴスの 光の 
届かない場所で

失われた 二本の手が 
触れようとする 
鍵盤の調律は 狂っている

われわれが 見いだせない 
この空間の 基底 
黒い 鏡面 

そこで 失われた 
二本の手が 
触れてしまう 双対宇宙

われわれは 夜明けのように 
這い上がろうとする

失われた 二本の腕で
 
無音の 夢のなかで 
福音を聴く われら

    2

宮沢賢治が 実業家 鈴木に出会わず
無理な営業で 身体を壊さずに 
生き延びたとすれば どのように堕落し 
そして 再生したか?
 
エクスターゼの 先の生を知らなかった人は 
どのように堕落し そして 
再生し得たのか?

「もうラッセル先生の講義の時間だ」
「行かなくていい」

戦火の ジョバンニとカムパネルラ
塹壕と飛行
砲声と墜落

あなたは 
数学には 愛がないと 嘆く

しかし ロゴスは 
ヨハネと エウクレイデス 
両者の前に 姿を現しました

双対宇宙の 外に出ること
それは この宇宙=自我
の外に 出ることであり
神に あらずして 
あたわざる 技である

ウィトゲンシュタインの言葉と 
 ラッセルの言葉の 間には 
 聖ヨハネが立つ〉

    3

御言葉が 肉となって 
私たちのなかに宿った?

白昼の 光のなかでは 
流れ星も見えない

肉のなかの われわれには 
時間が見えない

それは 
ぼくの足の裏から 頭頂を貫く 
黒い流星の 群れだ

燃えることも無く 死んでいった者たちが 
時間を 運んでくる

イデアを 我が肉として 蘇らせること〉

    ☆

モーツァルトの 四本の手
死者たちの 夥しい手が 
ぼくの鍵盤を 覆い尽くす!