アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

福音(7月の改稿)

    1

S博士によれば人間が靈感を感受できる期間は一月のうちの半分にすぎないと言う
ぼくはすでにその半分を逃したようだ
自分を追い立てる情熱の正体も分からなくなってしまった
たとえば”四本の手のためのピアノソナタ
モーツァルトなら躊躇することもなく自らの手に神の手を添えることだろう
秋の乾いた光を飲み干し薄明の薄紅色に魂を染める人
なぜなら音が光であり生命であることを疑っていないから

〈逡巡する人は美しい〉

なぜならそのとき彼は世界から脱臼しているから 
    なぜならそのとき彼は世界から意味が抜け落ちた場所にいるから
  なぜならそのとき彼は世界の一部では無くなっているから
       なぜならそのとき彼は言葉の届かない場所にいるから

逡巡する二本の腕
それは言葉の基底が失われた世界をさまよっているのだ

もはや世界の底は破れた
あなたはそのことに気がついていますか?

われらの失われた音階が響く
ロゴスの光の届かない場所で
失われた二本の手が触れようとする鍵盤の調律は狂っている

われわれが見いだせないこの空間の基底
黒い鏡面
そこで失われた二本の手が触れてしまう双対宇宙
われわれは夜明けのように這い上がろうとする
失われた二本の腕で
 
無音の夢のなかで福音を聴くわれら

    2

宮沢賢治が謎の実業家鈴木に出会わず
その結果無理な営業で身体を壊さずに生き延びたとすれば
どのように堕落しそして再生したか? 
エクスターゼの先の生を知らなかった人はどのように堕落し
そして再生し得たのか?

「もうラッセル先生の講義の時間だ」
「行かなくていい」

戦火のジョバンニとカムパネルラ
塹壕と飛行
砲声と墜落
あなたは数学には愛がないと嘆く
しかしロゴスは聖ヨハネとエウクレイデス両者の前に姿を現しました

双対宇宙の外に出ること
それはこの宇宙=自我の外に出ることであり
神にあらずしてあたわざる技である

ウィトゲンシュタインの言葉とラッセルの言葉の間には聖ヨハネが立つ〉

    3

御言葉が肉となって私たちのなかに宿った?

白昼の光のなかでは流れ星も見えない
肉のなかのわれわれには時間が見えない
それはぼくの足の裏から頭頂を貫く黒い流星の群れだ
燃えることも無く死んでいった者たちが時間を運んでくる

イデアを我が肉として蘇らせること!〉

モーツァルトの四本の手
死者たちの夥しい手がぼくの鍵盤を覆い尽くす

    4

差し出されるリンゴは血の色をしている
形而上学的妹
双対宇宙の処女よ!

〈わが愛は雨と降る夜〉