アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

天使病(七月の改稿)

少しずつ読んでいる『二十歳の原点』が69年6月に近づいていく。山本太郎への言及を確認したい気持ちになって読み始めたのだが。4月16日の日記に山本の詩『かるちえ・じゃぽね』を讀んだ記述がある。

山本太郎詩全集』を買っておいてよかった。すぐに見つかった。山本太郎には60年代的な=直接的な政治性は無い。しかし彼にはヒロヒトを唄った詩が少なくとも二篇ある。詩と政治の間に張られたタイトロープを渡りきれなかった高野悦子。彼女と山本の關係はやはり考えなければならない。

「実際、人間がその産むための器官と、加えて排泄口をもつに至ったのは、ようやくその悲惨な堕落の後であった。・・・それゆえ母エバは、悪しき性質によって仕上げられていたものを食べてしまったとき、自ら恥じたのであった。同じく彼女は、このりんごを食したことから生じることになった出産の器官を自ら恥じた。」  ヤーコブ・ベーメ『アウローラ』

ベーメによれば、始原の人間は天使と同様に性の器官も排泄の器官も持たなかったが、ルチフェルの手による悪しき林檎を食べたことによって、それらを生まれながらにもつよう宿命付けられた。あなたが未だに性の器官・排泄の器官に違和感をもつことがあるとしたら、自らの「天使病」を疑った方がいい。

「・・・山本太郎の”どこかに俺の存在を悲しんでいるもの−神−がいるはずだ”と、いうことがわかるような気がする。・・・社青同の民青批判のパンフレットも読んだし、井上清も讀んだ。本当に”オヤスミ”だ。」  1969年4月25日(金)高野悦子

ハレー彗星の尻尾には青酸ガスが含まれていることを知った百年前の人々は近づく彗星に恐怖したと言う。60年代も終わろうという高野悦子の時代、未だ、戦争=死の彗星の巨大な尻尾は戦後文明圏を去ってはいなかった。偽牧師・赤い枢機卿の権威が天使病に罹患して弱りきった少女を跪かせるには十分な威力を発揮した。彼女のなかの天使が死にきるまでにはまだ十年待つ必要があった。しかし、その前に彼女の肉體が滅びてしまった。もはや彼女の肉體には産毛すら生えてはいない。ただ股間のあたらしい感触、無の聖性の残像だけが今も消えないままだ。

高野悦子が「勉強」していた詩が山本太郎の作品ではなかったら彼女は死んではいなかったという仮説。金子光晴山本太郎吉増剛造、という流れが、私の狭い眺望から眺められる眺めであった。彼女が死なないで吉増剛造『頭脳の塔』(1971年1月)を讀んでいたら。いや『黄金詩篇』(1970年6月)でもよい。少なくとも『かるちえ・じゃぽね』は山本自身のための”唄”であって憑き物を落とす音楽=サウルに対峙するダヴィデの竪琴ではなかった。当時若かった吉増=ダヴィデの詩にむしろそれが感じられて仕方がない。政治という悪霊から彼女を開放する音楽が間に合わなかった。彼女は死んだことで戦後精神の分水嶺になってしまった。無力の鬱という悪霊、あるいは自己批判という悪霊、あるいは性の抑圧という悪霊、あるいは恋愛という幻想の悪霊。

『かるちえ・じゃぽね』は長い技巧的に優れた詩で、こういう作品に対して詩を書く人間はどこか圧倒されがちだが、その精神はそれほど強いものでも深いものでもない。詩は表現であることは確かだが、この作品はある程度の人生経験を積んだ人間には訴えるものをもたないと私は思う。この詩を書いた山本は若かったということとは別の問題。

機械論の幻想からまだ醒めているわけではない。

「詩といえばヘッセと太郎しか知らなかった私。」 1969年4月23日(水)高野悦子

やはり現代詩の問題ではなかったか? 一人の少女=女の死に現代詩が責任を負うということ。少なくとも彼女は詩人になりたかった一人だった。