アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

原子爆弾の原理: 核爆発はいかにして起こるのか 

原子爆弾の仕組みを知ることで、核爆発のイメージを得ることが出来るかも知れない。以下に見るように、実際に核爆発を効率良く発生させることは、たやすいことではない。放射能汚染が広がりつつあることは動かしようもない事実だが、福島第一原発における核爆発の危険性自体は、私は少ないと考えている。

繰り返しになるが、以下の図がわかりやすいので、ここから始めよう。


図1 ウラン235の場合の核分裂反応のモデル

図1(a)で、遅い中性子が、ウラン235原子核に吸収され、(f)で、核分裂が生じている。この際、初期条件(a)で、入射する中性子の数は1個だが、(f)で、核分裂後、2個の中性子が発生することがポイントである。この核分裂の際に放出される核子の結合エネルギー原子力エネルギーだった。この反応は、もしこの通りに進めば、生成した2個の中性子が、次の反応で、4個の中性子を発生し、4個が8個、8個が16個、・・・・、で2のn乗倍で反応が増殖する、この連鎖反応が短時間に爆発的に進行するのが、核爆発である。

しかし、以前にも指摘したように、発生した中性子は、種々の過程によって、この連鎖反応から逃げ出してしまう。一つには、ウラン235燃料の塊の表面を通して、逃げ出す成分がある。この逃げ出す中性子を減らすためには、体積に対して、表面積を少なくしたい。塊の体積は、その径aの3乗に比例し、表面積は2乗に比例するので、表面積と体積の比は、1/aに比例する。つまり、体積が大きいほど、表面から逃げる中性子が少なくなり、爆発しやすい。もう一つは、ウラン235などの濃度で、この濃度が十分に高くないと、爆発に至らない。さらに、この塊が、そのまま爆発したとしても、核燃料が即座に四散してしまうため、ごく一部の核燃料しか爆発に貢献しない。これらの条件をクリアするために、下記のような原子爆弾の方式が用いられた。


図2 核弾頭の方式: 上が広島に投下されたガン・タイプ。下が長崎に投下された爆縮型。

図2の下の図にある爆縮型原子爆弾から説明する。中心のinitiatorが、中性子源、sphere of 239Puが、燃料のプルトニウム239の球状のかたまりで、上の意味で、臨界以下の濃度に調整されている。238U tamperが、中性子を逃さないための反射材。Chemical explosive(トーンがかかった部分)が、火薬。Detonatorが着火部。複雑な構造だが、ここで、球対象に構成・分布した火薬の各部に同時に着火し、球対象の衝撃波を発生することで、中心のプルトニウム燃料を爆縮(急激に体積を減少)させ、臨界以上の濃度にし、核爆発を生じさせる。この方式の原爆を、第二次世界大戦大東亜戦争)末期の1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分、アメリカ軍が長崎県長崎市に対して投下した。当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約14万9千人が死没、建物は約36%が全焼または全半壊した。

図2の上の図のガン・タイプの説明に移る。右のウラン235の球状のかたまりでは、柱状にその中心部分が抜き取られ、その抜き取られた柱状部分が、左のGun barrel (銃砲)に装填されている。銃砲の左端には火薬が詰まっている。火薬を爆発させ、柱状のウランが球状の内部に戻り、臨界体積が実現され、核爆発を起こす。ここで、図は簡略化され、中性子源、中性子反射材などは省略されている。昭和20年8月6日午前8時15分、アメリカ軍が広島市に対して投下した。これは実戦で使われた世界最初の核兵器である。この一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が死亡したとされる。

このように見て行くと、広島に落とされたガンタイプがウラン235の臨界体積を利用し、長崎で使われた爆縮型がプルトニウム239の臨界濃度を実現するということで、この2方式では、燃料も、核爆発実現のアイデアも全く異なっている。これは明らかに実験であったと云わざるを得ない。人類史上最も非道な戦争犯罪である。その66年後、再度放射能の洗礼を受けつつある日本人の一人としては、言葉を失うばかりであるが、子々孫々に伝えなければならない歴史的事実である。今回の事故も基本設計はアメリカ製の原発であった。何度アメリカに煮え湯(放射能か)を飲まされれば気が済むのか。いい加減に目を覚ませ。日本人よ。