アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

放射能映画傑作選(1) 黒澤明の遺言『夢』

  今日も風邪で沈殿3日目。季節の変わり目の風邪(正確には気管支炎)なら、病院で抗生物質をもらって直るのが毎年のことだが、今日は病院に行くという考えが頭に浮かばなかった。と言うよりも、連休で病院も休みに違いないと思い込んでしまった。失敗。 
渋谷のデモも行けず、家で、DVDを観る。『夢』は、黒澤明が日本人に言い残したかったことが一杯に詰まった映画だった。数十年前に観たときには、それが分からなかったが、当時の他の日本人も同様だったかも知れない。公開された1990年は、日本人が経済成長の夢からまだ覚めていない時代だった。オムニバス形式で描いた八つの夢である。
  今や、「赤富士』で描かれたとおりの危機が実現してしまったが、私には、このエピソードの記憶が全く欠落していた。それを思い出したくて借りたようなものだった。しかし、今回見直しても、やはり初見の印象だった。若い頃はのんきで、このような可能性を直視する勇気もなく、イヤなことは考えないようにして、忘れてしまおうとしたと言うのが、真相かも知れない。圧縮された作品だが、黒澤の危機意識が井川比佐志の台詞に凝縮されて、今こそ、実に見事だと思う。やはり黒澤明はすごかったのだ。日本人の今の文化の本質を見抜いていたのだ。これに続く「鬼哭」も、毛色が変わったもので、実昭寺昭雄(鈴木清順?)の作品だと言われても、信じそうな気がする(「赤富士』の方も、円谷プロに特撮を頼んだのかと思わせるような画面だが)。戦後の日本人が、いつの間にか、共食いする鬼になってしまったという意味の寓話であるが、核戦争後の荒廃した世界が舞台で、ハリウッド製放射能映画「渚にて」の黒澤バージョンと言ってもよいかも知れない。放射能汚染により鬼になってしまった人間たちが、背丈よりも大きなタンポポや、食い散らかした仲間の骨が散乱する血の池の周りで、頭を抱えて毎日襲われる角の痛みに耐えるという、まさしく地獄のような話。いかりや長介の鬼。最後に、主人公(寺尾聰)が鬼から逃走するシーンでは、はっきりとは見えないが、追う鬼役のいかりやが、急斜面で転んで、完全に転がり落ちていく様子が一瞬映る。さすが、黒澤映画の出演者はいつも、命がけだが、ドリフでこんなものは慣れっこだったから、いかりは屁とも思わなかったそうだ(?)。
  初めの少年時代の二編の方は、はっきり覚えていた。特に冒頭の「狐の嫁入り』の話は、今回観ても、世界に類のない傑作だと思った。失われた日本と言ってしまえば、それまでだが、私の父も、子供の頃、北海道の山で、狐の嫁入りを見た話をしてくれたことがある。夜、山筋に沿って、得体の知れない光の連なりが、しずしずと進んでいくらしい。あれは一体何だったんだろうと、いぶかしがっていたことを思い出す。母方の実家の西那須野(栃木県)に行くと、祖母から狸に化かされた話を聞かされた。小学校に上がる前だったので、強い印象を受けた。夜、帰りが遅くなり、暗くなった山道を通らなければならなくなると、狸や狐が出るらしい。山の中で、親切な人にうどんをごちそうになるのだが、後でそれは、ミミズだったことがわかって、魂消る、というようなたわいのない話なのだが、いい年になった今でも、そういう話を当事者から聞かされた感触は生々しくよみがえって、胸が締め付けられるような気がする。
  掉尾をかざる「水車の村」は、脱原発後のわれわれが思い描くユートピアの一例かも知れない。ここで村の長老(笠智衆)の語ることばは、黒澤自身が考えていたことに違いない。工業化によって、真に価値のあるものは、失われてしまう。意識的に、工業化社会ではない世界を選択するみちだって、あるはずなのだ。もっと心の安らぐ、自然と調和した世界があるのではないか。
  『夢』は、よく見ると、黒澤からの日本人への遺書として周到に考え抜かれた理詰めな構成の作品であり、八作品も時代の進行順になっている。「日照り雨」「桃畑」が、明治・大正の日本らしさのある日本、「雪あらし」は時代設定は不明だが、登山装備の雰囲気から、大東亜戦争前当たり、「トンネル」が敗戦直後、「鴉」の寺尾聰は戦後の日本人としても良さそうで、「赤富士」は六基の原発が富士の裾野に立ち並ぶ現代、「鬼哭」もまさしくこの現代であろう。そのように考えてくると、「水車のある村」で、笠智衆の語る桃源郷は、未来の日本なのである。黒澤の描く日本近現代史としての「夢』に従えば、われわれは今、ちょうど八合目当たり、胸突き八丁の一番苦しい登りにさしかかったと言うことになる。「水車の村」のようなユートピアまで、実はそれほど遠くは無いと、黒澤が慰め、励ましてくれているような気もする。