アームチェア人智学日記 改

或る奴隷博士の告白

原子力発電はわれわれの文明が抱えている本質的なサタニズムを体現している 原料ウラン採掘の段階から既に作業者の生命の犠牲の上に成り立っている

東電の福島原発事故によって、下請けの作業員たちの命を犠牲にすることで原子力発電が維持されてきたことが、(私を含む)今まで無関心だった一般の日本人にも明らかになってきた。仮に今回の事故がなかったにしても、我々に知らされていないところで、通常の原発メンテナンスの作業において、下請けの作業員が被曝し、健康を損ない、犠牲になる事態が継続していたと云うことになる。ようやく今回の事故によって、原発は事故があった時に危険だから廃止すべきだということ以上の、もっと本質的な問題を意識できるようになった。原子力発電は、われわれの文明が抱えている本質的なサタニズムを体現しているのだ。今まで人類が享受してきたどの技術とも本質的に異なる範疇の問題を示していると考えるべきである。
原子力発電は、その作業工程の各段階において、誰かが被曝することでしか成立し得ない技術である。それは技術的に不完全だからと云うよりも、そのような犠牲を要求する形でしか成立し得ない技術なのである唯物論の時代に蘇ったモレク神である。
以前、NHK・BSで、広島に落とされた原子爆弾ウラン原料を採掘した村のドキュメントを見た。場所はうろ覚えなのだが、カナダかアラスカだったと思う。鉱山はモンゴロイド少数民族の村にあり、採掘に従事した村人は被曝し、採掘後の鉱石残渣を捨てられた村も放射能汚染され、その少数民族は壊滅状態になり、シャーマンも死んだ。鉱山が出来たとき、シャーマンは、こうなる事態を予言して村人に警告していたのだが、村人はその警告を聞かなかったことを後で後悔したという。シャーマンの警告の中に、この鉱山で村人が働く結果、遠い国のわれわれと同じ顔をした人びとが酷い目に遭うだろうという予言もあった。後に、日本に落とされた原子爆弾ウラン燃料が彼らの採掘したものだったことを知る。そして、戦後、今からそれほど遠くない時期だったと思うが、村人の代表たちが、広島を訪れ、被曝者たちに謝罪した。しかし、彼らを責めたり恨んだりする日本人は一人もいないだろう。その一方で、原爆を開発し、日本で人体実験を遂行した科学者・政治家の誰一人として、日本人に謝罪したという話は聞かない。
ロス茶イルド関係の話は、データの根拠が不明なものも多いが、ウラン燃料供給の八割を握っているという説がある。日本は資源が無いので、原子力発電に頼るほかにないと云うが、原発にしても、燃料ウランを国内生産しているわけではないので、供給元に支配されるエネルギーであることに変わりはない。日本の原発関係の話は、その内実が明らかになればなるほど、どうしようもなく黒い。日本の美しい自然に対する冒涜である。原子力保安院の広報担当者・西山 英彦はTPP推進論者でもあるらしい。原発行政に関わる官僚が、日本の自然・文化(震災に際しての日本人の態度を海外報道が絶賛する)と日本人を外資に売り渡す勢力と重なっていることは注目した方が良いと思う。